今日一日がかりで昨年12月にお世話になったスイスのことをコラムに書いていた。書いていながらふと思い出したことがある。 それは僕が大学4回生の時に 「今どんな職業につくにしても、いずれは分析心理学の教育分析を経験してカウンセラー(正確には分析心理学の臨床心理士)になりたい。」 と思っていたことだ。 そしてその総本山であるユング研究所はスイスのチューリッヒにあると言うこと。 あまり専門的なことを書くときりがないけど、折角時間もあるのだから思いのままに書いてみよう。 世間で言われているカウンセリング(臨床心理学)は、寄って立つ場では全然違う理念と方法論から成り立っている。 要するにパラダイムが違うのだ。 カウンセリング(または臨床心理学)において一番理解し易いというか因果律にそっている学派だと、精神分析学で、 これは19世紀にフロイトから始まった精神医学につながり、現在の学部でも医学部精神科に属する。 この学派が長年、心理学に影響を与えた考え方というのは所謂「三つ子の魂百まで。」といったものに近い。 細かく書けば、『出生から成人するまでの発達段階を複数に分類すると、3歳児を超えるまでの教育がその後の人格形成を決定づける。』といったもので、実例として当てはまるケースが多かったからか、ごく最近まで主流派で有り続けた考え方である。 ※ネオ・フロイディアンはこの問題に対して軌道修正をし、存在し続けています。 この観点にだけ注視すると『心理的に問題を抱えた人には治療が必要である』といった視点でクライアントに向かうことから脱しないことになる。 要するに今起こっている現象には原因があって、その原因がわかればそれを取り除くことによって解決するという域を出ないのだ。 しかし、どうしても僕にとっては経験的に腑に落ちなかったところがあって、受け入れることができなかった。 例えば不登校になっている子供(一昔前までに表現されていた差別用語の登校拒否児と同義)の家庭教師を頼まれたことがあったとする。 一昔前まではこれらのことが起こったら社会的問題ではなく個人的問題と解釈されていた。 そしてその子供の幼少期になんらかの原因があって、成長期の中学生になってからそれが現象として起こったと解釈されるとする。 しかしそれは一面的な現象を問題として解釈しているのであって、根本的にその子供の発達段階の心の中で『何が芽生え始めているのか』の説明はできないし、『学校に行けない』と言う問題としているところの解決にもならない。 だいたい今の学校教育が本当にまっとうなものなのだろうか。 ...って書いてしまったら本論からそれるので、話を戻します。 ※教育学でよく登場するロジャース派(来談者中心療法)については観点がずれるので省略します。 もしこの境遇(前述では不登校)に相対峙しなければならない場合、大切なことは『子供の発達段階の過程が今どういう所にさしかかっているのか』ということだ。 一概には言えないけど、子供自体が、第2次成長期に入った場合、女の子なら生理が始まる頃であり、男の子なら射精を経験する頃である。 詰まるところ性とかSEXとかを経験する段階で、少なくともそれまで経験したこともなく親には相談しにくい個人的な秘密というものを抱えて生きていくという初めての課題に迫られる時期である。 正確に言えば誰もが避けて通れない『子供から大人になるための心理的な通過儀礼』を迫れらる訳だ。 しかしながら初めて経験するこの悩みをストレートに親に相談するとしたらどうだろう。 それはそれでむしろ本来の成長過程から逃げていることにはならないだろうか。 多くはこれらの悩みを同年代の友達と共有するとか、他の情報から「これは異常ではない」ということを知って、親に相談することもなく大人になっていくことへの大切な秘密として抱えていくほうが望ましいと言える。 そして、それに達観するまでの答えの出ない産みの苦しみとして、不登校などの現象があると解釈するほうが、その後の発達に障害を来さない確率が高くなるのだ。 ※出来るだけ分かり易くしようとしてリビドーを例にしたため、あまりにもドグマティックに書いたので、もっと正確な説明を求める方は河合隼雄著コンプレックスでも読んで下さい。 自然科学万能で教育され、因果律に洗脳されきった現代人にはなかなか納得がいかないことかもしれないけど、 『心をあらわした現象には、かならず原因があるといった因果律的見解』だけでは計れないことが多々あるのだ。 これ(因果律)にとらわれすぎると近視眼的な行動(表現を変えると実験)に走り『木を見て森を見ず』ということになりやすく、ますます迷宮に入り込んでしまい、進むべき道が見えなくなる。 それではどうすれば良いかと言えば、前述したとおり子供から大人になるための心理的な通過儀礼として自らの人生を振り返り咀嚼することが必要になる。 そうすれば結果的に今何をすべきかが解らなくても、今何をすべきでないかが解ってくる。 要するにその立場が親ならば本当の意味での我が子の発達段階にある心の成長を理解することが出来ると同時に、親としての待つと言った行動ができる余裕ができるというものだ。 例えば静観するとか。 これは子供にとっては無視と映るかもしれない。 しかし静観のある無視か、そうでない無視かは子供のほうがかぎわけることになり、これまでの心の叫び方ではどうしようもないことに気づくことになる。 要するに親は森を観て行動していることになる。 僕が論理的かつ経験的に腑に落ちたのがこの考え方を提唱した分析心理学だった。 それではこれが解っているならカウンセラーなど必要ないのかと言えばそうではない。 情報が氾濫し、核家族が主流をなして、かつてあった地縁血縁がなくなった現代こそ、カウンセラーの存在理由が大きくなっている。 前述した不登校の例は一般論であり、子供を通じて観られる現象(親にとっての問題行動)は画一的ではない。 もしかしたらそれは殺人など、社会的に犯罪としてしか定義づけられない事もある。 そこまでいかなくても、現象自体が親の心もかき乱す程、善悪を尺度にすれば明らかな悪のものでなければ、この通過儀礼を果たすには難しすぎるところに意味があるからだ。 まだ大家族が当たり前だった頃には、地域社会(所謂、村社会とか)から子供自身が親は万能でないことを早期に気づいて、あきらめと言う段階に達し、秘密は秘密として抱えていくことが可能だった。 しかしプライバシーの尊重が普及し地域社会が崩壊した現代こそ、それが難しくなって、子供よりむしろ親の方が『第2次成長期=親離れ(親から観ると子離れ)』の時期であることを感知することが難しくなっている。 とどのつまりは親から観ると子離れと書いたように、親にとっても子育てにおいて避けては通れない通過儀礼を迎えているわけで、それまで我が身の一部とまで思っていた子供が、全て親の躾け通りに言うことを聞かなくてはならない存在ではなく、一人の人間と付き合わなければならないと言った時期...つまり親自身にとっても避けては通れない時期が到来したことを認めがたいからだ。 ところがこの『避けては通れない時期』なのかどうか主観的に判断するのが難しい。 それに親も子に社会的善悪を躾ける役割があるし、感情を持った一個人でもある。 ここで初めてカウンセラーの存在理由も明らかになる。 カウンセラー(臨床心理士)は病気や怪我を治す医者ではない。 避けがたい通過儀礼の時期を同行するガイドのような存在である。 人生を登山に例えれば、カウンセラーはそのガイドにあたる。 登山ガイドはその道程において登山者よりも山のことを熟知している。 しかし大自然を相手に100%登山を成功させるわけではないし、もしそうなら登山の意味もなくなるだろう。 登山が冒険の意から脱しないのなら、それまで経験したことのない気象条件などが重なって、遭難することもある。 だからといってガイドが不要な存在だとは言えないだろう。 同じようにカウンセラーが人の心に万能な訳ではなく、確率の問題として心理的通過儀礼の時期には登山ガイドなみに役に立つ存在だと解釈すれば妥当なのだ。 もともと僕が社会心理学を専攻したのは前述の事例を解決したかったことがきっかけだったけど、さかのぼれば自分が中学生の頃から言葉に出来ない『心とは何か』という疑問から逃れられなかったからだと思う。 広い意味では卒論にもしたように「何を基準に人間は嗜好(好き嫌い)を決定づけているか」と言うことを含めて知りたかったのだ。 それがきっかけになって歴史に興味を持ち、大学生になってからは哲学や宗教に至るまで貪るように文献を読みあさったのだけど、たどり着いたところ知識では不十分で、経験(生き続けること)することによってしか理解できないことだけが解った。 しかし学ばないままであれば、それは経験ではなく、ましてや『生き続けること』でもない。 ただ生きながらえているだけになる。 突き詰めれば人生は修行であって、問い続けなければ達観することもない。 悩みは悩みとして受け入れて、何時か昇華していけるものだと信じるしかない。 信じることが出来れば悩みは小難として大難とならず過ぎていく時が来る。 とどのつまりは信じるとは待つことに通じるのだ。 ...どんどん深みにはまっているような...。 まーそんなことを書きながら、なんと贅沢な時間の使い方をしているのだと思いました。 こんなこと書く時間があったら、もっと読もうと思っている本があるのに。 と気づいたので今回はこの辺で。 今回の写真は僕のマンションの階段から見えるビジネスホテルです。 by jun_hara | 2010-02-11 21:43 | 独り言
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