「誠に小さな国が開化期を迎えようとしている」
で始まるこのドラマ。 原作:司馬遼太郎の小説の映像化は不可能と言われたものにNHKが肝いりで、3年をかけ挑戦し実現した。 しかしいかがだろう。 あまりにも史実に忠実すぎて、日清戦争から日露戦争までに至る日本国の歴史を理解するには、脚本演出が難しすぎないだろうか。 この国で一番、国史学的に人気があるのは織豊政権と明治維新前後である。 大河ドラマも半分の時代がこれらの時代を舞台にしている。 織豊政権の場合、昔話みたいなものとして解釈してもさして問題はないかと思うが、明治維新後の歴史は現代と無関係ではない。 今に至る中央集権はこの明治期に確立され、その骨格は時代にそぐわなくなっても存在し続けているからだ。 勿論、これには多くの既得権益者が居るからであり、茹でカエルが変温出来なくなるまで続きそうにも思える。 さて、坂の上の雲を目指して邁進した維新期、そして戦後の高度成長期には相通じるところがあり、この小説は多くの読者から賛美をあげられたのが昭和元禄と言われた1960年代から1970年代にかけてであったことは事実だ。 しかし、今は既に昭和の高度成長期ではない。 今この国の教育だけを史実として学んできた多くの国民に必要なドラマは、もっとかみ砕いた演出でないと、歴史の本質を見誤ることになる。 勝利は不可能と言われた日露戦争に対し、どうやって勝利したかについて、このドラマは限りなく妥協のない本編になっている。 しかし、そう思えるのは1653年の黒船出現から1945年の敗戦に至るまでの時代を俯瞰できないと理解できないと思う。 要するに一番恐いのは懐古主義で、このドラマを観ている団塊の世代以上の年齢の人や、 僕等のようにバブルの恩恵で青年期を過ごした人が、「また日は昇る」と安直に期待してしまうことだ。 大切なのは今の政治行政への期待ではない。 むしろ地球レベルでも変革が必要なこの時代、島国根性で台風が過ぎるのを待つかのごとき保守的な態度でいては生き残れないのだ。 もし同じ考えで共感してもらるならば、最低でも半藤一利氏の昭和史を読んで貰いたい。 タイトルは昭和史だけど、この本は幕末の開国から敗戦に至るまでが語り起こしされた本である。 そして国史学に明るくなくても物語を聴くかのように、今へと至る国史が把握できる。 そうすれば前年の大河ドラマ「龍馬伝」に始まり「坂の上の雲」に繋がる国史が俯瞰でき、 ネットのようなインタラクティブなメディアがないために、その時代の詳細を知らされていなかった国民が、あの忌まわしき太平洋戦争に熱狂したことも理解できるのではないだろうか。 勿論、バブルと言う最後の花火に熱狂した時代もしかりだ。 国民性と言うか、日露戦争の勝利に対しての大衆心理が、国家からの洗脳により あの無謀他ならない太平洋戦争に国民が熱狂したことは、 高度成長期からバブル崩壊に至るまでの大衆心理とは無関係ではないことが理解できる。 「人は失敗からしか学べない」と立花隆が言っていたが、哀しいかなこれは厳然たる現実だ。 今、東京では文化放送や東京新聞だけが福島原発事故のニュースの本質を発信している。 熱しやすく冷めやすいと言われた国民性にもめげず。 残念なががCS放送の「朝日ニュースター」は筆頭株主が朝日新聞からテレビ朝日にかわるため、年内で終了となる。 まーこれも既得権益だけが理由の理不尽な話だが。 しかし、ネットがある今、この草の根メディア姿勢は駆逐することはできないだろう。 いくら平和ボケしていても「衣食足りて礼節を知る」者ならば これから始まる変革と痛みには敏感でなくてはならない。 もう中央集権東京時代は制度疲労をとっくに向かえているのだ。 方や大阪では、やっと橋下徹大阪市長(前大阪府知事)の体制維新(大阪都)構想が現実味を帯びて地方分権のさきがけになろうとしている。 この構想には堺屋太一氏も全面的にブレインになっているから期待できる。 時代の変革期とは歴史を振り返れば首都の扱いによって規定される。 完全な遷都はないだろう。 しかし世界的に見ても、東京一極集中になっているこの国ほど袋小路から抜けだせずにいる国はない。 例えば中国では北京と上海というイディオロギー的には成立しない体制で勝ち続けている。 政治においても、胡錦涛国家主席が外交を中心に行い、内政に関しては温家宝首相があたるといった役割分担で国家戦略を導いて成長している。 このことは橋下氏自身の著作で何度も語られていることだ。 従来の国家の定義は既に通用しない。 今こそ地方分権の具体的事例を大阪でやってもらい、全国に伝播してもらいたいものだ。 自民党と民主党の体たらくで長らえてきた永田町への期待なんぞ既に化石となった今、 かつて長州藩と薩摩藩により江戸時代から明治時代へ体制が変わったように、 大阪と言うこの20年間あらゆる指標で最悪だった地方からイノベーションが行われるのは史実に照らし合わせても自然な流れだ。 かつての長州藩のように。 願わくば地方分権の実現により、東京から抜け出せない多くの人が 家賃など高い消費を代償に時間に追われるだけの生活から解放されるよう変化していってほしい。 もし自身にもそれらに荷担できる天命があるのなら喜んで参加する。 誰も好きこのんで東京に住んでいるわけではない。 この街に逃れてきた者は帰る場所などないのだ。 これだけの国土がありながら。 今回の写真は深川ギャザリアのツリーです。
by jun_hara
| 2011-12-11 20:37
| 週末
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