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職業召命観



ある街の柱の上に自我を持った幸福な王子の像が立っていた。両目には青いサファイア、腰の剣の装飾には真っ赤なルビーが輝き、体は金箔に包まれていて、心臓は鉛で作られていた。とても美しい王子は街の人々の自慢だった。

渡り鳥であるが故にエジプトに旅に出ようとしていたツバメが寝床を探し、王子の像の足元で寝ようとすると突然上から大粒の涙が降ってくる。 王子はこの場所から見える不幸な人々に自分の宝石をあげてきて欲しいとツバメに頼む。 ツバメは言われた通り王子の剣の装飾に使われていたルビーを病気の子供がいる貧しい母親に、両目のサファイアを飢えた若い劇作家と幼いマッチ売りの少女に持っていく。エジプトに渡る事を中止し、街に残る事を決意したツバメは街中を飛び回り、両目をなくし目の見えなくなった王子に色々な話を聞かせる。王子はツバメの話を聞き、まだたくさんの不幸な人々に自分の体の金箔を剥がし分け与えて欲しいと頼む。

やがて冬が訪れ、王子はみすぼらしい姿になり、南の国へ渡り損ねたツバメも次第に弱っていく。 死を悟ったツバメは最後の力を振り絞って飛び上がり王子にキスをして彼の足元で力尽きる。その瞬間、王子の鉛の心臓は音を立て二つに割れてしまった。 みすぼらしい姿になった王子の像は心無い人々によって柱から取り外され、溶鉱炉で溶かされたが鉛の心臓だけは溶けず、ツバメと一緒にゴミ溜めに捨てられた。

時を同じく天国では、下界の様子を見ていた神が天使に「この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい」と命じ、天使はゴミ溜めに捨てられた王子の鉛の心臓と死んだツバメを持ってくる。神は天使を褒め、そして王子とツバメは楽園で永遠に幸福になった。


有名なこの話だけで職業召命観は説明できていないだろうか。
望んだわけではなく大学1回生の時、専攻することになった基礎ゼミでは
ルターから始まるプロテスタントによる宗教改革はカルヴァンにおいて
どんなに人間が努力したからといって、
神の意志が変更されることはない。
ただ、職業は神からその人へ与えられたもの「職業召命観」なので
その職業に励み得た利益(お金)は、神からの栄光(褒美)である。

というものと解釈されたらしい。
ここに、社会学の祖マックスウェーバーは、
「利潤追求が神によって価値あるものと認められた」とし、
それまで悪とされていた利潤追求が、神の栄光(褒美)となり、
やがてそれが資本主義へと発達していったというのが
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神という難しい本の要約。

どう解釈しようが資本主義の矛盾が次々出てくる中でも
どんなにあがこうが与えられた役割にあらがうことはできない
ということか。
まー東洋史観からすれば「運命」でかたずいていてしまうような話の気がするなぁ。
by jun_hara | 2013-11-15 21:31 | 独り言 | Comments(0)


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