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「『心理臨床』という専門性の共有を考える」より

日本の臨床心理(もしくは心理臨床)をとりまく環境はドラスティックに変貌をし続けている。
元々、心理学(学術的心理学)も臨床心理学も西欧からの輸入学問を発祥としているため、文化差を念頭に置いた人間観を一義的に変換できないといったジレンマが存在するが、それでも社会的病理であれ、個人の社会不適応への介入であれ、臨床の必要性だけは増加する一方であることには誰もが異論なきことだと思われる。
その中心的役割を果たしてきた日本の臨床心理士資格について、この数年で大きな転換点に立っている。
1995年の阪神大震災と2011年の東日本大震災を持って、臨床心理士の社会的存在理由は周知されたかのようであるが、この資格が国家資格ではないことを知っている人は少ないのではないだろうか。
裏を返せば、心理療法は社会保険料適用外であり、臨床心理士にはその報酬や保証も存在しない資格なのである。
一方、あらゆる領域(教育、医療、産業、司法、福祉)において必要不可欠でありながら、その活動範囲が広くて深くなりすぎている問題から、専門性と総合性のバランスにおいてアイデンティティが確固たるものでないことも内在している資格であり、この資格で食べていくには、あまりにも経済的基盤が不確かな職種にしか開かれていない現実がある。
これを裏付ける事も含め、以下の文面を引用する。

心理療法の現在に関する検証一臨床と研究の即応的関係の構築一

大山氏は、近年の心理士を取り巻く状況は、個々の心理土に心理臨床のコアが問われる状況にあると言います。心理土の若年層が増えている現況は、心理士の専門性の継承を難しくしています。また、複数の領域にまたがって勤務する心理土の増加や、領域の細分化によって求められる専門性も細分化されることで、心理土としてのアイデンティティが揺らぎやすい状況もあります。大山氏は、このような背景が心理土間で心理臨床のコアを共有しにくい状況をもたらしていると指摘します。また、大山氏はご自身のドイツでの経験から、言葉や国を超えた普遍的な心理臨床のコア成るものが存在する可能性や、その一方で日本の心理臨床の考え方に精神分析的なアプローチと森田療法的なアプローチの両方が存在する特殊性の可能性について話題提供がありました。また、心理臨床のコアなるものを明確に語ることは難しい作業であるとはいえ、心理臨床のコアの周辺を語り、それを積み重ねていくことで少しずつ明確化されるのではないかとの指摘がありました。大山氏の研究成果や内外の研究成果を踏まえて、心理臨床のコアに関わるものとして、多様な可能性や解釈に開かれた態度、見立てを絶えず修正しながら関わる態度、面接者とクライエント間での身体共鳴の成立、フォローアップ発話中心の関わり等を挙げられました。これらを踏まえて、全てのよい心理療法の基底にはやはりクライエント中心療法の要素が含まれていることと、面接の場で生じていることを把握しつつもそれ以外の可能性に開かれている態度、そしてまだ言葉になる前の自分の微細な心の動きに開かれている態度が、心理臨床のコアを構成するいくつかの側面ではないかという指摘がありました。

by jun_hara | 2015-07-07 21:55 | Comments(0)


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