僕が臨床心理士指定大学院へ進むことにした理由


2014年の夏だった。
東京に住んでいる頃、たまたま本屋で見つけたのが最相葉月・著セラピストだった。
最相さんは僕と同い年で母校も同じ関西学院大学である。ただ、僕は社会学部だが最相さんは法学部なので、どうして臨床心理学に興味を持ったのかはわからない。
いや、その理由は本の中に書かれてあったっけ。
それは兎も角、この本を読めば、日本における臨床心理学のこれまでが物語として一望できる。正確には心理臨床だろうか。
その風景の中には、僕の母校である明石南高等学校の同窓会館までもが登場する。
実は、日本の臨床心理学の普及は近畿一円から始まったのだ。
僕の学生時代に臨床心理学を学ぶには、京大か九大くらいしかなかった。
それは1960年代の闘争で日本の臨床心理学が歴史の中から消えた時期があったからだった。※このあたりの詳しい経緯はこれからの臨床心理学にて。
再び、日本の臨床心理学が芽を出したのは、河合隼雄先生がスイスから帰国して京大で教鞭をとり、九大では成瀬圭吾先生が臨床動作法をもって、研究を始めた頃である。

関学は古くから文学部心理学科や社会学部社会心理学専攻はあったが、臨床心理学は未だに学科も存在しない。関関同立でも臨床心理士指定大学院でないのは関学だけであるが、これは関学が伝統的に学術心理学の歴史を背負ってきたからでもある。
そもそも一般に心理学と呼ぶ場合、正確には学術心理学と言って、原点が実験心理学になり、カウンセリングや心理療法などを含む学派ではないからだ。一番解りやすい例をあげれば、学術心理学では「無意識」という概念は取り扱わない。この概念は臨床心理学でもフロイトから始まる精神医学の精神分析学派でのみ用いられるだけである。これは「無意識」という概念が科学では実証しようがないからである。

僕は学生時代、社会心理学を専攻したのであるが、最初に課題図書になったのがコンプレックス性格チームワークの心理学だった。
僕の発表チームにはコンプレックスが割り当てられ、1か月間、フロイトからユングまで徹底的に研究することを義務付けられた。
そのせいですっかり臨床心理学に傾倒してしまい、3回生になってから専攻の社会心理学研究が始まっても、時間があれば本屋で臨床心理学関連の本を買いあさって読んでいた。
ここまでハマったのは、2回生の後半、不登校の中学3年生の家庭教師をやっていて、登校できない理由の解釈ができていなかったが、この本「コンプレックス」自体に腑に落ちるカラクリが書かれていたからだった。ここで説明するには難しすぎるので、是非読んで頂きたいし、臨床心理士になって、この本を読んでいない人はモグリと言われるくらいだから、書くのも野暮と言うものだろう。
また、他の課題図書の著者も全て心理カウンセラーや心理療法家であり、これらの本や恩師の本が原点となって、後に僕が世の中を見る際のフィルターになっていった。

4回生になって、就職活動期に行われた「自分が一番影響を受けた本」の発表も心理療法論考を選んだ。さすがにこの時期になっても、学術心理学ではなく臨床心理学から選んだので、あまりいい顔をされなかったことを憶えている。しかし、この時も「いつか臨床心理士資格が出来たなら、その時考えよう」と本気で思っていたのだ。※当時、資格名も存在していなかったが。
それから長い年月が経って、2007年に河合先生が他界された頃、僕は東京九段にある日本・精神技術研究所心理臨床学会の重鎮のH.M.先生に依頼して、初めて教育分析を半年間経験させて頂いた。この時は、ある事例のスーパービジョンも兼ねていたので、かなりの勉強をさせて頂いた。そしてその最後の日、「本気で今でも臨床心理士になりたいのなら挑戦した方がいい」と勧められたが、大学院での心理英語に対する覚悟がどうしてもできないことから、日常に追われて東京での生活が過ぎていった。

2014年は人生の分岐点となった。
セラピストを読み終えるのと同じ頃、職場の同僚が首つり自殺をしたのである。
詳細は書かないが、この時、組織で働いていくモチベーションが尽きてしまったのと同時に、臨床心理学の方向へと切り替えることに決めたのだ。当初は東京で予備校に通い、東京の大学院を考えていたが、父の3回忌前後に母が3週間の検査入院をしたことから、実家に戻ることとなった。その年いっぱいは技術職の仕事が残っていたので、年内いっぱいまで務めることとし、年末に最後のイベントライブをやった次の日に帰省した。

実際に受験勉強を開始できたのは2015年になってからである。そもそも技術職をやりながら他の勉強時間を確保するのは不可能だった。
本格的に学び始めてわかったのは、臨床心理学の世界が様変わりしていたことだった。臨床心理学だけではない。学術心理学においても認知心理学や認知神経科学の台頭により、聞いたこともない心理学者の人名や概念が登場し、僕が学部生時代に憶えた精神分析学派はすっかり主役から遠ざかっていた。かわりに認知行動療法(CBT)が精神医学を巻き込んで、精神療法の中心になっているのである。また、東大をはじめとする首都圏と京大を中心に置く関西圏では幾分事情が異なっていた。前者がCBTを中心としたEBMであるのに対し、後者は事例研究法を中心としたNBMである。それに加えて、心理職の国家資格化法案が9月に国会を通過し、決定的に臨床心理士資格は国家資格にならず、新たに公認心理師が国家資格になった。※移行措置等の話はまたの機会に記す。
9月受験間近の6月の話であるが、いったいいつから何が変わり始めたのかを知らなくては、受験自体が無駄になりかねないので、本を買いあさったり、ネットで調べ上げ年表を作って俯瞰してみたら、その大きな変化の始まりが2007年であることがわかった。前述の河合先生他界直後からである。今でもその大変動の途中なので、詳しくは書けないが、教育界に属する臨床心理学と医学界に属する精神医学が離合集散しつつあることだけは理解できた。

結局、9月の受験は準備不足で不合格になったが、おかげで受験校の選定を切り替え、11月受験で第1志望の兵庫教育大学大学院に無事合格することができた。しかし、本当に大切なのはこれからである。受験前までは、大学院にさえ入学してしまえばと思っていたが、今は決してそんなことを思えるわけがない。学部生の頃を考えても同じことを言えるが、勉強にしても研究にしても、入ってから何を学び続けるのかを具体的に目標として持ち続けていなければ何の意味もない。これから行うのは実践に役立つための研究と実習である。
学部生時代に学んだ社会心理学による心理学研究法は、ICTも絡めて今でも大切な僕の技能になっている。また、これまでの人生で何度か関わった事例や経験を肥やしにしないと、今までやってきたことの意味がない。少なくとも教育大学大学院を選んだからには教育に関わる分野は外せない。現状の社会の歪みに対して働きかけていく場合、結局は教育に立ち返ってしまうからである。
とにもかくにも臨床心理学は時代時代の社会的弱者をきめ細かく擁護してきた学問である。この原点から離れての具体的な目標はない。
いったい何時になったら、未だ誰にも言葉にしていない到達点に至るかはわからないが、決めた道に後悔のないよう毎日を積み重ねていきたいものだ。
by jun_hara | 2016-02-23 23:56 | 独り言


<< 知能のパラドックス 二つの記事から >>