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しばらく

ううう...
仕事が立て込んでいてしばらくHPの更新は後回しです。
土曜日のライブはやりますけどね。
by jun_hara | 2007-01-30 01:26 | 独り言

先週末

e0027033_252328.jpg今週から新しいプロジェクト。
何回新しいプロジェクトを経験しても最初の1ヶ月は結構気苦労が多いもんですわ。
でも今回は僕のハンディも理解してくれた上での参加。
だからといって甘えるわけにはいかないのだけど。
兎に角一歩ずつなのだな。

今週の東京は気温の変化が激しかったので風邪ひいちゃったりして、いまいち体調を整えるのが難しかったのだ。


そんなこんなで先週末のことを書いてなかった。

平成19年1月13日土曜日
●14:30日精研
カウンセリングの事です。
こういうタイミングでは結構重要な予定なのです。

●18:00オーチャードジャズコンサート鑑賞
マルちゃんのお友達お勧めでトリオのバンドe.s.t.を観てきました。

平成19年1月14日日曜日
●13:00YAMAHAソングライティング
毎年恒例のレコーディングルームでの録音会です。
たった今マスタリングが終了しました。

●18:00アトリエ302
デトックススパトリートメントと言うのをやってもらいました。
気持ちよかったです。
髪の毛が立つようになりました。
そして久しぶりに表参道駅前の焼き鳥屋へ行ったら、中が完全にリニューアルされてました。
そりゃー8年ぶりくらいですからねぇ。



そして日付変わって今日はコタンの出演日。
CD作成で手一杯だったので全然練習できてましぇん。
せめて弦だけは張り替えないと。

今回の写真はカウンセリングの帰り道である九段下から見た武道館です。
by jun_hara | 2007-01-20 01:04 | 週末

江戸東京博物館

e0027033_2143086.jpg今日も東京はいい天気だったので、チャリに乗って東陽町へDVDを返却しに行った後、ついでに両国の江戸東京博物館に行ってきた。一番の目的は新年の企画として江戸城をテーマにしてやっていたからだ。

『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』など時代劇と言えば僕が子供の頃から江戸時代が設定だった。しかし年々歴史を勉強する度と同時に新たな史実が明らかになったこともあって、実はテレビでやっていたことは江戸時代の全体像としては断片的すぎることがわかってきた。勿論300年近くも続いたのだからね。

また、『暴れん坊将軍』では天守閣から吉宗が城下を見下ろすシーンがあったけれど、これについては子供の頃から疑念を持っていた。と言うのも僕は小学5、6年の頃に発売されていた日本の城郭のプラモデルを全て集めたのだけれど、江戸城については説明書きに天守閣は明暦の大火で消失したと書かれていたからだ。しかもプラモデルの天守閣は全面白塗りの壁であるのに江戸市中の屏風に描かれているのは松本城と同じく黒塗りの板塀で覆われているからだ。

っで、その小学生の頃、明暦という年号を調べてみると、それは四代将軍家綱の時代で、八代将軍吉宗の頃に天守閣が現存するはずもなかった。またテレビの時代劇で映される江戸城は明らかに平山城である姫路城であり平城である江戸城には設定に無理がありすぎる。

これは昔の時代劇だけの話ではない。現在ロードショーで公開されている大奥でも江戸城の外観として姫路城天守閣が使われている。今回の大奥は絵島生島事件を題材にしているが、この事件は実際に起きた事件である。が、それは吉宗の前の将軍家継の時代の話だ。
いくら日本人が歴史に無知とは言えここまでバカにした映像は後世への恥にすぎないだろう。

愚痴はこの辺で、僕が江戸東京博物館に訪問したのは今回が初めてだ。
もともと僕は歴史好きと言ってもその知識は室町時代~戦国時代~安土桃山時代に偏っていて、僕が関西出身でもあるのか始終平穏であった江戸時代は殆ど興味がなかった。
しかし、十数年前に東京へ越してきて、それも文京区(新大塚)→新宿区(四谷)→江東区(永代)といった江戸の歴史が沁み込んだ街で暮してくると、その歴史に興味を持つようになったのはしごく当然のことだし、加齢と共に歴史的興味の内容も変わってくる。

文京区や新宿区にいた頃は徳川家康の実母であるおだいの方千姫などの墓所がある伝通院や、五代将軍綱吉の母である桂昌院の菩提寺である護国寺へは暇があれば行っていた。また四谷に住んでいる頃は近所に新宿区の歴史博物館もあったのでよく行ったものだ。

江東区に住むようになってからは山手(隅田川以西)からは無縁であった深川という地名に何かしら情緒を感じていたのだけれど、この地名が川ではなく人名に由来しているものだと知ったのはごく最近のことだ。取り分け僕の住む永代通りでは江戸最大の夏祭りが開かれるのだけれど、その由来も知らずにいた。

そんな江戸音痴の僕が今回博物館へ行こうと思ったのも江戸城という神秘に満ちた城がテーマだったからだ。江戸城築城は太田道灌の時代まで遡るのだけれど、そこまでの興味に至る教養と興味はない。僕が知りたいのは、いくら明暦年間に消失したとは言え、巨大な大坂城や名古屋城の天守閣さえも飲み込む日本最大の天守閣が現存したという事実と安土城にならぶその神秘性に惹かれたからだ。

今回初めて知ったのだけれど、なんと江戸城の天守閣は三度建て直されている。それも50年も満たない間に。詳しくは博物館のHPや実際の展示場へ行かれる事をお勧めするとして...。

この博物館はバブル期創設されただけあってとてつもなく大きく贅沢な造りだ。とてもじゃないが全ての展示と説明文を読み上げるには1日だと時間が足りなさ過ぎる。僕は13時くらいに入場したのだけれど、閉館の17時30分までには短すぎた。

幸い特別展示である「江戸城」展(入場料960円+オプションの音声ガイド機器レンタル500円)はくまなく観れたし、江戸城の3D再現をしたDVDの販売予約(1900円)もしたので、ここは観終えたと納得している。
しかし、常設展(入場料480円)の方は地下のビデオギャラリー(入場料無料)にしてもまだまだ観たいものが山積しているのだ。特に東京と改名されてから現在に至る歴史はできるだけ知っておきたいし。

もし東京に来られて江戸東京博物館に訪れる機会があったなら是非勧めたいのが、ガイドの予約だ(これはここに限らず大英博物館でもそうだったけど)。展示物をチョロッと書かれた説明文だけで記憶するのは難しいし何の感動もない。
しかし学芸員のガイドが付くとそれだけで歴史に詳しくなくても臨場感が湧いてくる(松本城がそうだった)。幸い江戸東京博物館のガイドは学芸員が無料のボランティアでやっているらしいので調べておいた方がいいだろう。次回は僕もそうするつもりだ。

それにしても東京では、まだまだ知るべき事知りたい事が山のようにある。
来年の大河ドラマは篤姫(天璋院)だしね。

今回の写真は展示物の中で撮影許可のある江戸市中の模型です。
by jun_hara | 2007-01-10 21:31 | 出来事

報道の差

e0027033_065786.jpg今日、防衛庁が防衛省に昇格したのだけれど、NHKと民放(TBS)ではその報道の仕方に違いがある。

午後7時からのNHKニュースでは戦後の警察予備隊からの断片的な略歴を伝えただけで、昇格の結果何が変わって何が変わらないのかを伝えていない。

一方TBSのNEWS23ではこの点に一番時間をとって報道している。

デリケートな問題ではあるけれど、こういった事はクローズアップ現代やNスペ任せにして、一番視聴率の高い時間にあたらずさわらずのことしか伝えないNHKのやり方は既に時代錯誤だ。
NHK全体をこれで断定するわけではないけれど、少なくとも未だにこのような大本営発表程度の報道しかできないのなら誰が受信料なんか払いたいと思うだろうか。

今回の昇格に対して僕は反対ではない。むしろ軍に匹敵する防衛力を持たない国という存在はどこか現実離れしているし、もう安保まかせにする時代も終わったと思う。

何が変わらないかという点については戦前に軍の独走を許したことに対して、シビリアンコントロールは確保されているし最高指揮権は仮にも内閣総理大臣にある。
何が変わったかについては、国連の指示という大義名分から解き放たれて海外での活動ができるようになった今、防衛と名がついた集団が参加する場合、何処が軍と違うのかということが発生する。でも今の内閣がその判断を明確に区別できているとは思えないし、歴史教育が揺れている中で世論の右傾化に拍車がかからないとも言い切れない。

今後中国と北朝鮮との関係、それに竹島や尖閣諸島も含めたら台湾と韓国も含む近隣関係に留まらず、防衛の定義について太平洋戦争を済んだ事としてではなくその歴史的検証も含めてハッキリしておいたほうがいい。少なくともこの程度の意見がタブーになるような時代には戻って欲しくないし。

今回の写真は前述とは全然関係なく、姉のもとに届いた父撮影のお座敷ライブ忘年会の写真です。
※注.僕のとなりは由井さんです。麻原彰晃ではありません。
by jun_hara | 2007-01-09 23:21 | 独り言

銀座

e0027033_20382488.jpg
今日の東京は突き抜けるような青空だったので、銀座まで歩いていった。
永代橋を渡って八丁堀を通り過ぎ、新京橋に着いたあたりで小腹が空いてきたので、てんやに入って天丼大盛りを食した。
ここからは銀座エリアである。
休日の銀座の裏通りは駐車待ちの車でいっぱいだ。
特に三越駐車場はその行列がひどく最後尾の車が入る頃には日が暮れてしまうくらいだった。

今日銀座に行こうと思ったのはただ散歩をするためではなく映画を観るためだった。
またまた偏食壁かもしれないけど父親達の星条旗を観ようと思ったからで、この映画自体が僕の近場では昨年のロードショー後、銀座シネパトスでしかやっていなかったからだ。
映画館には16時10分頃にたどり着いてチケットを買う時「立ち観になる可能性があるので早めに起こし下さい。」と言われた。地下の入口には開演は16時50分で開場は16時40分と書いている。
まー4丁目の交差点直近なので本屋で時間をつぶせばいいと思い晴海通りへ。
e0027033_20385418.jpgこれがその時の銀座4丁目交差点だ。
ここには銀座コアというビルの6階にブックファーストという本屋があって結構充実している。
江東区に住みだしてからはちょくちょく寄っていた。
時間的にそんなに余裕がないのでまたまた偏食壁のついでで名こそ惜しめを買って映画館へ向かった。

16時30分にたどり着いたら、既に行列が出来ていて開場が始まっていた。
ネットではあまり評判のよくないハコだけど、実際入ってみると思ったほど悪くはない。
客席は段差がないので最前列に座ろうとしたけど長時間だと首が痛くなりそうだったので後方に席を移した。
その後コーラとポップコーンを買い込んで鑑賞準備完了。
上映が始まった時、確保した席は正解だと確信した。

今回この映画を観たいと思ったのは勿論『硫黄島からの手紙』を観て前日に読み終えた本つながりで、アメリカ側からの硫黄島をどう捉えているのか観たかったからだ。
僕のようなパターンの人がかなり多いのだろう。現在は『硫黄島からの手紙』がロードショーの終盤で、この映画が2部作の日本側バージョン。
日本では先行して上映された『父親達の星条旗』はロードショー時、1部作として不発だったのだけど、それはきっかけが必要だったのだろう。映画館側からすると不発だと解釈して、今ではこのような小さなシネマでしかやっていないのだけど、立ち観がでるくらいなのだ。

内容については完全にアメリカ側からの硫黄島であって、日本人は登場人物として出てこない。地獄の黙示録やブラックホーク・ダウンでもそうだったけど、おそらくアメリカの戦争映画はこうなってしまうのだろう。だからこそクリント・イースドウッドは2部作にしたのだと思う。

e0027033_20391125.jpg上映が終わったのは19時15分。
椅子のせいではないがかなりお尻が痛かった。僕は子供の頃から長時間座っているのが苦手なのだ。

外に出るとすっかり夜だった。それでも空気は冷たくなく、でも冬らしく澄んでいた。
もう一度4丁目の交差点に戻り同じアングルから撮ったのがこの写真。

帰りは銀座線銀座駅から日本橋を経由して門仲についた。
赤札堂で酒の肴を調達して今飲みながらこの文を書いている。

今日からフジテレビ系列で東京タワーが始まった。
倍賞美津子が我が母とダブって初日からボロボロに泣いてしまった。
小説のイメージに違わずベストキャスティングだ。
僕も特別に目標があって東京に出てきたわけではないけれど、未だに孝行らしいこともできずにいることと、そして未だにこの場所で暮していることが、原作者のリリーさんと同じ世代であることもあってはまりすぎるのだ。

ううう...こんなことばかりしていてはいけない。
さてそろそろ休日モードから切り替えないと。
by jun_hara | 2007-01-08 20:39 | 出来事

散るぞ悲しき

e0027033_0583171.jpg土曜日はYAMAHAソングライティングコースの新年会を月島のもんじゃ焼きで楽しんだ。
メンバーは現在の在籍者だけだったけど、やっぱりこういった席での飲み会は面白いのだ。斉藤先生は日曜日の朝からお仕事なのでレッスン生だけで日本海庄屋で2次会。結局僕も喋りっぱなしで午前3時の閉店までいた。小林君は僕の部屋で泊まってから帰ることに。

さっき太平洋戦争硫黄島決戦の記録を綴った散るぞ悲しきを読み終えた。
なんとも言えない読後感だけど、太平洋戦争時の陸軍にこれ程人望に長けた人がいたことと、映画硫黄島からの手紙にも観られる壮絶な戦いを知って、僕の中での戦中の歴史観がかなり変わったかもしれない。アマゾンのレビューには
硫黄島の決戦が原爆投下に拍車をかけた
とか、
最後の総攻撃に打って出る間際の目撃談も紹介して、栗林の「弱さ」の現れではないか
とか、お門違いのコメントも多くどうも納得のいかない文がある。
いったい何を根拠にこのようなレビューを書くのか腹立たしい限りだ。
僕が映画と今回のこの本でわかる限りは硫黄島総指揮官の栗林忠道という人が、戦術において当時の陸軍の発想とは対極にある戦略家であったことと、援軍はもうないという極限の中でも将兵達のご家族にたいしてまで配慮を忘れないといった人望が、5日で終わるとされていた戦いを36日も持ちこたえさせた最大の理由であることだと思う。
それと栗林自身がアメリカ留学経験者と言う事もあって当時の日米の国力の差を認識しており、開戦について始めから反対していたことも読み取る事が出来る事だろう。
僕は陸軍については嫌悪感を憶える情報しか持っていなかったが、そんな中にもこのような人物がいたことを知ることができ貴重な本であった。
いずれにしても栗林忠道という人物を知ったということは僕の中で大切な歴史観のひとつとなったのだ。
by jun_hara | 2007-01-08 01:24 | 週末

ライブ練習と初詣

e0027033_1824668.jpg昨日は14時半からPちゃんと清水さんが僕の部屋に来て練習。ただ合わせるだけの練習なら時間はかからないのだけれど、最後には一発録音をする。これが結構大変なのだ。

これはPちゃんのこだわりで、この音源をCDで持ち帰って自宅でBASSの練習をするために使われる。通常のレコーディングのように1パートずつの多重録音や間違えた箇所だけの修正録音であるパンチイン・パンチアウトをすれば簡単なのだけど、それだとライブの練習にならないと言うのだ。

この録音方法が難作業である理由は、1箇所でも間違えれば最初からやり直しをする必要があって1度はまると同じ箇所で何回もはまってしまい想像以上に繰り返しが発生すること。
まーこの方法で毎回練習をやっているせいか初めて練習をした日よりかなり息が合うようになってきたけどね。

今回のこの練習方法は清水さんも初めてで、この洗礼を受けることになった。結果は同じく本人の想像以上でかなりのテイク数になった。その後僕の収録をしたのだけれど変な欲より早く終えたいと言う気持ちが強かったのかテイク数は3回くらいで終了した。

結局CDへのマスタリングを終了したのが20時前で、19時前に仕事帰りで合流したまるちゃんも含めて門仲の繁華街に繰り出した。始めは魚三へ向かったのだけれど1月8日まで休業。仕方ないので坐・和民へ行く事に。まーこのメンバーだと話が尽きないのはわかっていたけど、みんな終電も諦めて午前1時30分前にお開きとなった。歩いて帰る僕以外はみんな山手線の内側と都内の東京湾近くに住んでいるのでタクシーでも帰れる距離なのだ。
何をそんなに話す事があるのかと思うかもしれないけど、Pちゃんの下ネタ話し以外はあえて内容は書かないほうがいいと思うので省略。

今日は昼に仕事の話で本郷三丁目まで行って来た。
門仲に帰ってきててんやで天丼の小うどんセットを食べてから深川不動尊と富岡八幡宮に初詣へ行って来た。露天商はまだ半分くらいやっており、夕刻の賑わいとあいまってこの街らしい情緒があるのだ。
おみくじもやったが結果は吉。あまりいい内容は書かれていない。でもどっちでもいい。むしろ以前にも益して気にならない。大切なのは神頼みじゃないしね。

今回の写真は初詣時の富岡八幡宮です。
by jun_hara | 2007-01-05 18:23 | 出来事

親友

e0027033_20491648.jpg今日は去年と同じくライスボウルを観るため松枝と東京ドームへ行ってきた。
待ち合わせは12:30に丸の内線後楽園駅の改札。何時もより早く着いたつもりが改札を貫けると松枝は既に居たのだ。こんなことは初めてかもしれない。大体僕のほうが早くついているからだ。

それは兎も角14:00のKick offまでにはしばらく時間があったので一蘭でラーメンを食べてスタバで一服してドームへ向かった。
驚いたのは昨年と違って客が異常に多い事だった。特に昨年は閑散としていた社会人チーム側の客席がいっぱいなのだ。これはオンワードスカイラークスだからだろうか。大学チームは昨年と同じ法政大学トマホークスなのだけど、こちらも連続出場のせいか客は増えている。
結局僕等は一番空いている学生側である一塁側外野席で観る事にした。

試合内容はニュースでもやっていた通り30対29でオンワードスカイラークスが勝ったのだけれど、どう観ても審判の判断ミスが影響してこの結果になった節がある。おそらく後日これは問題になるだろう。
まー来年は我が関西学院大学ファイターズがこの場所に居てくれればいいのだけど。

ゲーム終了後、後楽園の居酒屋で一杯やった。
アメフトのことは程々に、松枝とは何時ものように仕事とこれからの生き方について話しが移っていった。

松枝は明日から古巣の会社に戻る初日なのだ。しかし仕事内容は一兵卒の証券アナリストではなく管理職になるので、前日の気持ちとしては背水の陣状態なのだ。
僕は違った意味で明後日自分の営業が控えているので同じような立場なのだけど、風来坊のようにその日暮らししてきた者とは切羽詰る度合いが違う。

人間は現状の仕事や生活を維持できなくなる時が一番不安になる。それは上流になればなるほどそのリスクがある訳だからしかたがない。ただそれをばねにしてストイックに生きている姿勢を見ると応援をしたくなると言うものだ。
なので「少なくともPCのスキルの面で協力できることがあれば何時でも言ってくれ。」と僕は言った。それぐらいしか力になれないし。

居酒屋を出たのが20:00前。
この季節にしたら暖かい日和で曇り空だったけど雨も降らなかった。
来年も同じ場所で同じ時間に会いたいものだと思って駅で別れた。

さて、明日はライブの練習なので編曲の続きをしなければ。

今日の写真はライスボウルの本番の写真です。
by jun_hara | 2007-01-03 20:52 | 出来事

年末

e0027033_16495666.jpgえらい日記の更新が滞ってしまった。
日記なんだから出来事を書いていないと。

平成18年12月26日火曜日
母が学校の新年会でやる余興の脚本を書くために頼まれた金色夜叉を買いにOAZOの丸善まで行って来た。
古典文学の文庫本はこの規模の書店じゃないと手に入らないのだな。
久しぶりに大型書店へ行ったため3時間くらい立ち読み。
散るぞ悲しき睡眠障害風林火山も購入。やっぱりこういう場所に来ると衝動買いが止まらないのだ。

平成18年12月27日水曜日
木場の109シネマで21:15から硫黄島からの手紙を観た。
まさに太平洋戦争の地獄絵図がしっかり編集されていた。
プログラムでは監督のクリント・イースドウッドのインタビューで「戦意高揚のためではなく事実を描くことによって戦争の悲惨を知ってほしい。」と言っていたが、まさにその通りの内容。
この映画の鑑賞後は『感動』と言う言葉は使えない。
ただただ想像を絶する戦場の悲劇が眼に焼きついて離れなかった。

平成18年12月28日木曜日
この日の夜に両親が上京。東京駅到着は18:09。
姉と迎えに行きOAZOをくぐりぬけ大手町から地下鉄に乗って門仲を目指した。
夕食は姉の部屋でお好み焼きパーティー。

平成18年12月29日金曜日
この日は昼食に家族4人でゴマ屋で坦々麺。
その後、歩いて京葉線の越中島駅まで歩いて行き南舟橋のスウェーデン家具の量販店IKEAへ。
帰宅後、魚三で酒と魚に舌鼓。その後ジョナサンで一服して帰宅。

平成18年12月30日土曜日
この日は今回の家族の主目的であるゆうげん荘のお座敷ライブ忘年会のため軽井沢へ。
到着後は北口の繁華街を散策しようとしたけれど殆ど閉店状態。踵を返して南口側を歩いて蕎麦屋で昼食を摂った。
その後、姉がボーリングをしたいと言い出したのでプリンスのボーリング場へ行った。
でもゲームをやったのは姉だけ。僕はツメが割れたら演奏できなくなるのでやらなかった。父もピアノが弾けなくなるからという理由でやらなかった。母も山登りの時に腕を怪我していたのでやらなかった。
結局、姉一人が3ゲームをやったのだ。

いい頃合になったのでしなの鉄道に乗って信濃追分駅まで行き由井さんの送迎でゆうげん荘に到着。
この時初めて僕の両親と由井さんの対面だった。

今回の忘年会では東京組みが僕の家族4人と清水さんご夫婦だけ。でも長野組からは地元のフォークライブ出演者や松本からはそのるびのメンバー、それにフォークライブでいつも受け付けをやってくれている小沼さんが参加。後半では遠山さんも合流してくださった。予想以上の集まりになり、かつ、参加者みんなステージで演奏三昧ができて大晦日の午前3時まで続いたのだった。

フォークライブでのお座敷ライブでは出たがりで個性の強い出演者が多いため、なかなか唄えない人もいるけれど、今回のこの機会ではみんな遠慮なく演奏できて本当によかった。

平成18年12月31日日曜日
軽井沢からは午後1時過ぎに門仲へ到着して、夜までしばらく一休み。
夕刻になって坐・和民で飲んだ後、年が越えるまで姉の部屋で紅白鑑賞。
やっぱり大晦日の紅白で聴くさぶちゃんのはいい。

年が明けて門仲の不動尊と八幡宮の間にある露店街はラッシュ状態。
初詣をするには凄い人ごみだったので後日行く事にした。
でも露店では鮎の塩焼き、甘酒、たこ焼き、ベビーカステラなど食べたりして正月気分を味わうには充分だった。
父母は元日に帰路へ着くので午前2時頃に僕の部屋へ戻った。

この家族で過ごす東京での年越しはもうないかもしれない。
でも冷たい風が心地よい年末だった。

今回の写真は30日の信濃追分から観た浅間山です。
by jun_hara | 2007-01-01 16:10 | 出来事