<   2010年 02月 ( 8 )   > この月の画像一覧

いのちの歌

2009年6月13日土曜日のTokyo Acoustic VOL.3で急遽当日オープニングアクトカバーとして歌ったこの歌。
はじめて聴いてからもう1年以上前になるんやね。

なんか人生の半分を完全に過ぎてから、なかなか「あ~ええ歌やな~。」って思う歌に出会えてない中、この歌聴いた時、ほんまに涙もんやったんですわ。
「何時かこんな歌作れたらええな。」って思いながら今でもちょくちょく聴いてます。

蛇足やけど、You TubeってWinnyと比べても、完全に著作権違反はクロやのに、どの国も起訴できひんやんか。
そろそろ既得権益保護の著作権法は見直すべき時期ちゃうやろか。


by jun_hara | 2010-02-28 21:46 | music

チュートリアル

e0027033_1315765.jpg金曜日にあっけなく3月1日からの案件(お仕事)が決まった。
長い冬休みだった。
でもお陰様で人間らしい生活になりました。
スイスもオリンピックも充分堪能したしね。

そうなると僕がプロデュースをする5.15のイベントに対して、詰める時間はこの金土日しかない。
いや、日曜に持ち越せない。
と言うことで土曜日はまず

9:00血液検査と定期診療のためクリニック東陽町へ。
といっても診療は0:00から。
しかし、1番に診療してもらうには1時間前に到着するのが当たり前。
結果は1ヶ月後に。

帰りは雨上がりの道を門前仲町まで歩いて帰り、買い出しを終えた後、
13:00~15:30「WINDOWS SERVER 2008 R2とWINDOWS7 2つのOS連携強化機能のポイント」セミナー受講のため日本橋に新しくできたパソナ本部ビルへ。
サーバーOSである2008 R2は実物を操作したことがないのでやっぱり難しかった。
その反面WINDOWS7は自宅のPCがそうであるため、納得のいく咀嚼ができた。
まーWINDOWS7は良くできたOSですわ。

その後、5.15の情報交換に必要な準備のため護国寺の清水さん家へ向かい、パソコンの設定とチュートリアルをした。
16時に到着して終えたのは23時近く。
今の段階でできる準備と作業配分はやり終えた。
と言っても土日祝は編曲とHP作成とフライヤー作成で埋まるだろうけど。
後はそれぞれのCAST&STAFFの連携と試行錯誤と練習が5月の結果となって現れると思う。
さてさて今回はその相乗効果が表れるだろうか。

兎に角、3月は案件を仕上げることが最重要課題。
なんで明日はできるだけ早い就寝をします。

今回の写真は日本橋パソナ新社屋です。
しかしこの不景気な時に日本橋の呉服橋交差点という超一等地に新社屋とは。
空前の失業率の高さと有効求人倍率の低さなのに人材派遣業がなぜ儲かるのだろう。
いや、こんな時だから非正規雇用を扱う業者は成長しても不思議ではないのかも。
by jun_hara | 2010-02-28 01:31 | 週末

勉強か?

e0027033_227198.jpg今朝、雪降る東京を地下鉄で横断してデブサミ2010まで行ってきました。
朝から晩まで約45分毎のプレゼンと15分の休憩の繰り返し。
5つの会場から選択して前もって予約し参加する大イベントだ。

このイベントは前にも来たことがあるが、何時だったか思い出せない。
ただリーマンショック以前だったのは確かだ。
会場となった目黒雅叙園は以前、職場仲間だった伊藤さんの披露宴で唄わせてもたっらことがあるからハッキリ憶えていた。
だいたい山手線の徒歩3分エリアに、新興宗教の本部なみの建物が未だに存在し続けているのには、奇妙でもあるし、平日に行われたこの会場は高齢者の観光客とITエンジニアのカジュアルな連中という、結婚式場にはありえない風景だった。

僕は主に午後からは.NET関連の会場を選んだけど、午前中は既に予約完だったので別の会場も選んでいた。
しかし、まーその午前のスピーカーは以前僕も行ったことのあるISerの社員SEなのだけどひどいプレゼンだった。
と言うか、内容が劣等生の戯言かと思うほど、なんの足しにもならない演説で、45分も聞いていると怒りに変わっていった。
まー午後からはそんなこともなかったので、溜飲を下げることができたけど、このようなイベントに参加してみると、同じIT業界でも格差社会は確かにあるんだということも確信できる。
そして運とか不運とかというものも確かにあると思う。

いずれにしても、この業界はまだまだ製造業などと比べて、危機感というものが薄いのだろう。
本当はできるだけ早く商売替えを望みたいところだけど、この年までこの業界で食ってきた者が、そうそう簡単に鞍替えできるわけはない。
とにかく確信が持てたことは僕はまだ落ちこぼれてはいないんだということ。
だからしばらくはこの業界にしがみ続けながら、東京暮らしを延長します。

今回の写真は雅叙園の中から観た庭園の方向です。
by jun_hara | 2010-02-18 22:27 | 独り言

勉強会

e0027033_21261691.jpg昨日土曜日にマイクロソフト本社で月1回開かれている技術ひろば.netに参加してきました。
今回で2回目の参加。
初めて18:00からの懇親会にも参加しました。
しかも2次会まで。
話は盛り上がって、気づいたら11時半近くまで飲んでました。
ぶっちゃけ本番の勉強会も大事だけど、懇親会の時に飛び出す話の方がぜんぜん貴重なんですよ。
付き合いも広がるしね。
っで、勢い余って「5月か6月の時に僕もプレゼンテーションをやってみますよ!」って宣言しちゃいました。
まー僕自身、基本的に人に講義や説明するのは大好きだし、一回Power Pointを活用したかったから、どんな組み立てにするか考えながら楽しみにしています。
テーマは折角昨年にExcel VBAエキスパートの資格も取ったんだし「ExcelプログラマーとVisual Basic6プログラマーのためのVB.net&Office連携入門」にしようかと。
まー無料で出来るライブみたいな感じで。
歌わないけどね。

今回の写真は前述の勉強会が行われている新宿のマイクロソフト本社ビルです。
by jun_hara | 2010-02-14 22:06 | 週末

こころの旅

e0027033_21423648.jpg今日一日がかりで昨年12月にお世話になったスイスのことをコラムに書いていた。
書いていながらふと思い出したことがある。
それは僕が大学4回生の時に
「今どんな職業につくにしても、いずれは分析心理学の教育分析を経験してカウンセラー(正確には分析心理学の臨床心理士)になりたい。」
と思っていたことだ。
そしてその総本山であるユング研究所はスイスのチューリッヒにあると言うこと。

あまり専門的なことを書くときりがないけど、折角時間もあるのだから思いのままに書いてみよう。

世間で言われているカウンセリング(臨床心理学)は、寄って立つ場では全然違う理念と方法論から成り立っている。
要するにパラダイムが違うのだ。
カウンセリング(または臨床心理学)において一番理解し易いというか因果律にそっている学派だと、精神分析学で、
これは19世紀にフロイトから始まった精神医学につながり、現在の学部でも医学部精神科に属する。
この学派が長年、心理学に影響を与えた考え方というのは所謂「三つ子の魂百まで。」といったものに近い。
細かく書けば、『出生から成人するまでの発達段階を複数に分類すると、3歳児を超えるまでの教育がその後の人格形成を決定づける。』といったもので、実例として当てはまるケースが多かったからか、ごく最近まで主流派で有り続けた考え方である。
※ネオ・フロイディアンはこの問題に対して軌道修正をし、存在し続けています。
この観点にだけ注視すると『心理的に問題を抱えた人には治療が必要である』といった視点でクライアントに向かうことから脱しないことになる。
要するに今起こっている現象には原因があって、その原因がわかればそれを取り除くことによって解決するという域を出ないのだ。
しかし、どうしても僕にとっては経験的に腑に落ちなかったところがあって、受け入れることができなかった。

例えば不登校になっている子供(一昔前までに表現されていた差別用語の登校拒否児と同義)の家庭教師を頼まれたことがあったとする。
一昔前まではこれらのことが起こったら社会的問題ではなく個人的問題と解釈されていた。
そしてその子供の幼少期になんらかの原因があって、成長期の中学生になってからそれが現象として起こったと解釈されるとする。
しかしそれは一面的な現象を問題として解釈しているのであって、根本的にその子供の発達段階の心の中で『何が芽生え始めているのか』の説明はできないし、『学校に行けない』と言う問題としているところの解決にもならない。
だいたい今の学校教育が本当にまっとうなものなのだろうか。
...って書いてしまったら本論からそれるので、話を戻します。

※教育学でよく登場するロジャース派(来談者中心療法)については観点がずれるので省略します。

もしこの境遇(前述では不登校)に相対峙しなければならない場合、大切なことは『子供の発達段階の過程が今どういう所にさしかかっているのか』ということだ。
一概には言えないけど、子供自体が、第2次成長期に入った場合、女の子なら生理が始まる頃であり、男の子なら射精を経験する頃である。
詰まるところ性とかSEXとかを経験する段階で、少なくともそれまで経験したこともなく親には相談しにくい個人的な秘密というものを抱えて生きていくという初めての課題に迫られる時期である。
正確に言えば誰もが避けて通れない『子供から大人になるための心理的な通過儀礼』を迫れらる訳だ。
しかしながら初めて経験するこの悩みをストレートに親に相談するとしたらどうだろう。
それはそれでむしろ本来の成長過程から逃げていることにはならないだろうか。
多くはこれらの悩みを同年代の友達と共有するとか、他の情報から「これは異常ではない」ということを知って、親に相談することもなく大人になっていくことへの大切な秘密として抱えていくほうが望ましいと言える。
そして、それに達観するまでの答えの出ない産みの苦しみとして、不登校などの現象があると解釈するほうが、その後の発達に障害を来さない確率が高くなるのだ。

※出来るだけ分かり易くしようとしてリビドーを例にしたため、あまりにもドグマティックに書いたので、もっと正確な説明を求める方は河合隼雄著コンプレックスでも読んで下さい。

自然科学万能で教育され、因果律に洗脳されきった現代人にはなかなか納得がいかないことかもしれないけど、
『心をあらわした現象には、かならず原因があるといった因果律的見解』だけでは計れないことが多々あるのだ。
これ(因果律)にとらわれすぎると近視眼的な行動(表現を変えると実験)に走り『木を見て森を見ず』ということになりやすく、ますます迷宮に入り込んでしまい、進むべき道が見えなくなる。
それではどうすれば良いかと言えば、前述したとおり子供から大人になるための心理的な通過儀礼として自らの人生を振り返り咀嚼することが必要になる。
そうすれば結果的に今何をすべきかが解らなくても、今何をすべきでないかが解ってくる。
要するにその立場が親ならば本当の意味での我が子の発達段階にある心の成長を理解することが出来ると同時に、親としての待つと言った行動ができる余裕ができるというものだ。
例えば静観するとか。
これは子供にとっては無視と映るかもしれない。
しかし静観のある無視か、そうでない無視かは子供のほうがかぎわけることになり、これまでの心の叫び方ではどうしようもないことに気づくことになる。
要するに親は森を観て行動していることになる。

僕が論理的かつ経験的に腑に落ちたのがこの考え方を提唱した分析心理学だった。
それではこれが解っているならカウンセラーなど必要ないのかと言えばそうではない。
情報が氾濫し、核家族が主流をなして、かつてあった地縁血縁がなくなった現代こそ、カウンセラーの存在理由が大きくなっている。
前述した不登校の例は一般論であり、子供を通じて観られる現象(親にとっての問題行動)は画一的ではない。
もしかしたらそれは殺人など、社会的に犯罪としてしか定義づけられない事もある。
そこまでいかなくても、現象自体が親の心もかき乱す程、善悪を尺度にすれば明らかな悪のものでなければ、この通過儀礼を果たすには難しすぎるところに意味があるからだ。

まだ大家族が当たり前だった頃には、地域社会(所謂、村社会とか)から子供自身が親は万能でないことを早期に気づいて、あきらめと言う段階に達し、秘密は秘密として抱えていくことが可能だった。
しかしプライバシーの尊重が普及し地域社会が崩壊した現代こそ、それが難しくなって、子供よりむしろ親の方が『第2次成長期=親離れ(親から観ると子離れ)』の時期であることを感知することが難しくなっている。
とどのつまりは親から観ると子離れと書いたように、親にとっても子育てにおいて避けては通れない通過儀礼を迎えているわけで、それまで我が身の一部とまで思っていた子供が、全て親の躾け通りに言うことを聞かなくてはならない存在ではなく、一人の人間と付き合わなければならないと言った時期...つまり親自身にとっても避けては通れない時期が到来したことを認めがたいからだ。
ところがこの『避けては通れない時期』なのかどうか主観的に判断するのが難しい。
それに親も子に社会的善悪を躾ける役割があるし、感情を持った一個人でもある。
ここで初めてカウンセラーの存在理由も明らかになる。

カウンセラー(臨床心理士)は病気や怪我を治す医者ではない。
避けがたい通過儀礼の時期を同行するガイドのような存在である。
人生を登山に例えれば、カウンセラーはそのガイドにあたる。
登山ガイドはその道程において登山者よりも山のことを熟知している。
しかし大自然を相手に100%登山を成功させるわけではないし、もしそうなら登山の意味もなくなるだろう。
登山が冒険の意から脱しないのなら、それまで経験したことのない気象条件などが重なって、遭難することもある。
だからといってガイドが不要な存在だとは言えないだろう。
同じようにカウンセラーが人の心に万能な訳ではなく、確率の問題として心理的通過儀礼の時期には登山ガイドなみに役に立つ存在だと解釈すれば妥当なのだ。

もともと僕が社会心理学を専攻したのは前述の事例を解決したかったことがきっかけだったけど、さかのぼれば自分が中学生の頃から言葉に出来ない『心とは何か』という疑問から逃れられなかったからだと思う。
広い意味では卒論にもしたように「何を基準に人間は嗜好(好き嫌い)を決定づけているか」と言うことを含めて知りたかったのだ。
それがきっかけになって歴史に興味を持ち、大学生になってからは哲学や宗教に至るまで貪るように文献を読みあさったのだけど、たどり着いたところ知識では不十分で、経験(生き続けること)することによってしか理解できないことだけが解った。
しかし学ばないままであれば、それは経験ではなく、ましてや『生き続けること』でもない。
ただ生きながらえているだけになる。
突き詰めれば人生は修行であって、問い続けなければ達観することもない。
悩みは悩みとして受け入れて、何時か昇華していけるものだと信じるしかない。
信じることが出来れば悩みは小難として大難とならず過ぎていく時が来る。
とどのつまりは信じるとは待つことに通じるのだ。
...どんどん深みにはまっているような...。

まーそんなことを書きながら、なんと贅沢な時間の使い方をしているのだと思いました。
こんなこと書く時間があったら、もっと読もうと思っている本があるのに。
と気づいたので今回はこの辺で。

今回の写真は僕のマンションの階段から見えるビジネスホテルです。
by jun_hara | 2010-02-11 21:43 | 独り言

映画鑑賞

e0027033_0425792.jpg木曜日はDVDで僕の彼女はサイボーグを観てました。
2回目だけどね。
もうろくしたのか、ストーリー展開を忘れてしまっていたので
2度、楽しめました。
最近、綾瀬はるかにはまってます。

金曜日は109シネマズ木場アバターの3D字幕バージョンを観てきました。
12月23日にロードショーだったので、そろそろ空いているかと思ったら大間違い。
レイトショーだというのに結構埋まってました。
ネットで予約していって正解です。
座席は出来るだけ前の方を選んだ方がいいみたい。
一緒に行った姉は3D画像にはまりまくりで、もう一度観に行こうかと考えているそうです。
僕の場合、眼鏡の上から3D眼鏡をかけることになってピッタリ収まらず、少々入り込めませんでした。
コンタクトがある人はそのほうがいいみたい。
ストーリーはごく単純で子供にも理解できると思います。
先住民と人間との関係はイラク・アフガンとアメリカに置き換えればキャメロン監督のメッセージがよくわかります。

帰りに2/4にオープンした太陽のトマト麺の門前仲町支店で初めて太陽のチーズラーメンを食べてきたのだけど、多分そんなに通わないだろうといった味でした。

今回の写真は夜の深川ギャザリアです。
by jun_hara | 2010-02-06 00:40 | 週末

新東京タワー

e0027033_2082650.jpg今日、永代橋から北北東に見えた風景です。
写真をクリックして拡大して見て下さい。
真ん中に見えるのは押上方面で建設中のスカイツリー(新東京タワー)。
完成時は600mを超えるそうです。
by jun_hara | 2010-02-04 20:09 | 独り言

冬のソナタっぽい選曲

とりあえず曲目だけ

セットリスト

1.Opening(記憶に残ってる) with a A.Guitar
2.生まれた街で with a A.Guitar
3.甘い時間 with a A.Guitar
4.大蔵本町 with a A.Guitar
5.乾いた九月 with a A.Piano
6.ここへは来ない with a A.Piano
7.ONGAKU with a A.Piano

by jun_hara | 2010-02-01 02:36 | music