<   2010年 06月 ( 14 )   > この月の画像一覧

半生

遠くを見つめる目と足下を見つめる目

僕はいつもこの言葉をまるで「南無阿弥陀仏」のごとく自分に言いきかせてきた。
でも実践は難しいね。

誰だって人に嫌われたくないから。
しかし、男には避けて通れない道がある。

今回の大河ドラマでの武市半平太のように。
by jun_hara | 2010-06-30 21:50 | 独り言

孤獨について

孤獨が恐しいのは、孤獨そのもののためでなく、むしろ孤獨の條件によつてである。恰も、死が恐しいのは、死そのもののためでなく、むしろ死の條件によつてであるのと同じである。しかし孤獨の條件以外に孤獨そのものがあるのか。死の條件以外に死そのものがあるであらうか。その條件以外にその實體を捉へることのできぬもの、――死も、孤獨も、まことにかくの如きものであらうと思はれる。しかも、實體性のないものは實在性のないものといへるか、またいはねばならないのであるか。

 古代哲學は實體性のないところに實在性を考へることができなかつた。從つてそこでは、死も、そして孤獨も、恰も闇が光の缺乏と考へられたやうに、單に缺乏(ステレーシス)を意味するに過ぎなかつたであらう。しかるに近代人は條件に依つて思考する。條件に依つて思考することを教へたのは近代科學である。だから近代科學は死の恐怖や孤獨の恐怖の虚妄性を明かにしたのでなく、むしろその實在性を示したのである。

 孤獨といふのは獨居のことではない。獨居は孤獨の一つの條件に過ぎず、しかもその外的な條件である。むしろひとは孤獨を逃れるために獨居しさへするのである。隱遁者といふものはしばしばかやうな人である。

 孤獨は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである。孤獨は「間」にあるものとして空間の如きものである。「眞空の恐怖」――それは物質のものでなくて人間のものである。

 孤獨は内に閉ぢこもることではない。孤獨を感じるとき、試みに、自分の手を伸して、じつと見詰めよ。孤獨の感じは急に迫つてくるであらう。

 孤獨を味ふために、西洋人なら街に出るであらう。ところが東洋人は自然の中に入つた。彼等には自然が社會の如きものであつたのである。東洋人に社會意識がないといふのは、彼等には人間と自然とが對立的に考へられないためである。

 東洋人の世界は薄明の世界である。しかるに西洋人の世界は晝の世界と夜の世界である。晝と夜との對立のないところが薄明である。薄明の淋しさほ晝の淋しさとも夜の淋しさとも性質的に違つてゐる。

 孤獨には美的な誘惑がある。孤獨には味ひがある。もし誰もが孤獨を好むとしたら、この味ひのためである。孤獨の美的な誘惑は女の子も知つてゐる。孤獨のより高い倫理的意義に達することが問題であるのだ。
 その一生が孤獨の倫理的意義の探求であつたといひ得るキェルケゴールでさへ、その美的な誘惑にしばしば負けてゐるのである。

 感情は主觀的で知性は客觀的であるといふ普通の見解には誤謬がある。むしろその逆が一層眞理に近い。感情は多くの場合客觀的なもの、社會化されたものであり、知性こそ主觀的なもの、人格的なものである。眞に主觀的な感情は知性的である。孤獨は感情でなく知性に屬するのでなければならぬ。

 眞理と客觀性、從つて非人格性とを同一視する哲學的見解ほど有害なものはない。かやうな見解は眞理の内面性のみでなく、また特にその表現性を理解しないのである。

 いかなる對象も私をして孤獨を超えさせることはできぬ。孤獨において私は對象の世界を全體として超えてゐるのである。
 孤獨であるとき、我々は物から滅ぼされることはない。我々が物において滅ぶのは孤獨を知らない時である。

 物が眞に表現的なものとして我々に迫るのは孤獨においてである。そして我々が孤獨を超えることができるのはその呼び掛けに應へる自己の表現活動においてのほかない。アウグスティヌスは、植物は人間から見られることを求めてをり、見られることがそれにとつて救濟であるといつたが、表現することは物を救ふことであり、物を救ふことによつて自己を救ふことである。かやうにして、孤獨は最も深い愛に根差してゐる。そこに孤獨の實在性がある。

人生論ノートより
by jun_hara | 2010-06-28 00:15 | 独り言

美術

e0027033_2152173.jpg残念ながら僕に絵を描く才能があることは今や誰も知らない。
具体的には、中学1年生の夏休み後、東播美術展(美術の県大会みたいなもの)で夏休みに描いた自画像が文化委員会賞(玄人が評価する一等賞)になった。
また、当時の美術の先生はそれ以前から僕の絵の才能を知っていたのか棟方志功の再来のごとく3学期間、最高点をつけた。
それどころかデッサンも彫刻も、何を題材にしても、僕の創作を観るように授業が進められた。

しかし2年生で別の担任が美術の教師だったこともあり、僕の普段の生活態度の悪さから、美術の模範にされることはなかった。
この頃から僕は誰の評価も信用しなくなった。

また自分の美意識にも自信めいたものが芽生え、付き合う女性には「性格の評判が悪くても美人である子」が必要条件になった。
でなければ付き合うこと自体に意味がなかった。

僕の美術的才能が開花したのは大学生になってからだった。
僕が学生だった頃の関西学院では、その名声を生かして、神戸の各地でダンパ(ダンスパ-ティー)やイベントが行われた。
しかし街で配るフライヤーに対してデザインが大切なことは分かっていても、それを具現化する者は少なかったことが原因で
いくら関学の学生主催と言えども集客を左右したのだ。

偶然、僕の絵画力を知ったイベンター達は、素人かつ無料でポスターやイラストを描く存在を知って頼みにきた。
勿論、僕は好きな絵が役に立つのならと言うことで、時間に余裕のある1回生だったこともあり気安く受け入れていた。

このデザイン力は2回生で既存のサークルになじめなかった者が集まって作った「ペンギンハウス」と言うテニスサークルを立ち上げるのに役立った。
当時、松田聖子のB.G.M.で話題となったビールのCMで使われていた画像(今回の絵みたいな)をモチーフにしたものだった。
結果は大成功。
女子大の正門前で配ったフライヤーは定員の3倍以上の申し込みがあった。
しかしその運営は1年も立たず破綻する。
要するにサークルを運営するには何のノウハウもなかったのだ。
それ以降僕は団体を作るということについて集団力学や社会心理学を学ぶけれど
それを具現化するゼミに参加したこともあって
ますます集団や組織というものが嫌いになり
それらへ参加することに抵抗感がつのっていった。

そんなこともあって今回KAKADOでやった原っぱのようなことには3年の歳月がかかった。
「原っぱ」のフライヤーに採用した絵は秋山羊子のデッサン。
ここ数年、羊子ちゃんがブログに描いてきた絵を僕が気に入ってのことだ。
勿論、僕は自分の審美眼を信じているし実績もあるので、気に入らなければ書き直すよう指示した。
これは羊子ちゃんも理解してくれていたと思う。

本当に大切な美しさの神髄は傍観者ではなく創作者じゃないと解らないのだ。
by jun_hara | 2010-06-26 21:57 | 週末

茶番

e0027033_20514061.jpg宗教団体の援助で成り立っている政党。
古いイディオロギーで成り立っている政党。
自民党の亜流でできあがった政党。
どれも説得力がなく寒気がする。

またどの立場からも投票のお誘いがある。
この人たちは何を根拠に安易な情報を確信めいた意見にして言っているのか?ってほど。

まー情けないことに身内では高齢者だと投票するのは自民党らしい。
やっぱり高齢者が一番怖いのは「保守・革新」しか選択肢がなかった世代らしく革新なんだろうね。
無党派の僕等の世代にとってはこの三種ではない政党が選択肢なのに。

僕は無党派層だけど、マスメディアで報道されるかぎり、
民主党が長期政権を保つことが僕等の世代にとって無難かと思う。
官房長官が仙谷さんで幹事長が枝野さんの間は。
小沢が大人しい間だけだけどね。
でないと抱きつき心中した鳩山さんが報われない。

ただ今回の選挙の論点を沖縄の問題から消費税とすり替えたのは誰が策士だったのか。
博打めいた...あまりにもイメージ選挙をねらいすぎているような。
へたをするとまた「ねじれ」になりかねない。
消費税を選挙の議題にするには、この国の歴史上鬼門なのだ。
この国のマスメディアでこの議題を一丁目一番地するのに必要な情報量が少なすぎるのだ。

やがては消費税なしでは財政は破綻し、僕等以降の世代にその負担はかかってくる。
ならば今のうちにこの国の格差を陽ノ下にさらす論議があっていいと思うけれど。

今の中国をみれば従来の資本主義が格差を生むのはあきらかだろう。
マネー資本主義のありかたが、本当に未来に通じる体制のありかたかどうか?
財政が破たんしかねない金の流れている場所は
どの会社やどの団体やどの個人なのか。
本丸まで事業仕分けを続けてもらいたいものだ。

前述の意見は情報量が少なく既得権益のない一般市民の意見としてね。
じゃないとクーデターの誘いがあったら同調するよ。
どこから攻撃すべきかも含めて。
まったく。

今日の写真はリニューアルした明石市立天文科学館です。
次に帰省したら行きます。
by jun_hara | 2010-06-26 20:52 | 独り言

月曜日に

e0027033_20571342.jpg飲み会と言う発想は、月金を仕事としてきた者からすると不思議に感じるかもしれない。
しかし、サービス業というか週末がかき入れ時で働いている人々には一番自由になる時間なのだ。

と言うことで昨日、タティが幹事になって原っぱのメンバーで飲み会をやった。
場所は門前仲町。
店は決めていない。
兎に角、僕が東京を去るかのようなメールが発端だった。
僕は定時18:10に勝どきのトリトンスクエアを出て、門仲へと向かった。
って言っても帰路だけど。

集まったのは、誰ひとり欠けることのないメンバー。
よくもまー全員が、って思ったけど
本来はこの方が自然なんだろう。

さて折角、門仲なんだからと言うことで鈴木君と羊子ちゃんが未体験の魚三へ行くことに。
しかし、お座敷の魚三は1時間半の入れ替え制とのこと。
仕事で送れてきたのりごんを含んで2次会の沖縄茶屋へと。
その前に羊子ちゃんはタティから、くさや攻撃があって帰宅してました。

さて2次会。
僕はかなり酔っていたと思う。
いろんな事、遠慮無く話題に出して突っ込み続けていたようだった。
でもこれでいいのかもしれない。
このまんまで。

今回の写真は土曜日に永代橋から観た月島です。
by jun_hara | 2010-06-22 21:00 | 出来事

梅雨の中休み

e0027033_17575589.jpg金曜日昼

松枝から電話があり夜に飲みに行くことに。
場所は東京八重洲。『笑々』
9時半に「ラストオーダーになりますが」と言われて、流石に梅雨の中、客入りが悪いからかなと思っていたけど、
レジで「もしかして2時間制ですか?」と聴いたら「そうです。このビルの他の店も全て。」とのこと。
その後23時30分まで開いているルノワールで話の続きをしていた。

土曜日朝

クリニック東陽町とOKスーパーへ行くため久しぶりに自転車で東陽町へ。
帰宅後、暫くして3ヶ月毎の定期検診と歯のクリーニングのため、新川デンタルクリニックへ歩いて行ってきた。

久しぶりに永代橋から東京タワーより高くなった東京スカイツリーを観たら、ご覧の通りだった。
写真をクリックして貰えばわかるかも。

かなり疲れていたのか、DVDで映画を観ながら午後6時には寝てしまった。

日曜日朝

8時に目を覚ました。
外は曇り空。
外出するような気分ではない。

一日中けだるい中テレビを観ていた。
時事放談
サンデーモーニング
噂の東京マガジン
録画したスコラ
NHKアーカイブで極楽家族をやっていた。
最後にぽっくり寺に参るミヤコ蝶々さんの姿は
今でもハッキリ記憶に残っている。

昼寝をした後、ギターを練習し
考えあぐねていた7月のセットリストが決まった。
結論としてはlooking back
作曲した年月を新しいものから古いものへ時系列に唄っていく。

さて書き忘れていたわけではないが、5月に帰省した時から始めた父のブログ楽しく生きるが徐々にではあるが更新されている。

それとは別にフォトギャラリーchihohara's photostreamも。こちらは海外向け。
by jun_hara | 2010-06-20 18:11 | 週末

女友達

e0027033_2222656.jpg今回ブログのタイトルにした僕の唄の歌詞に

"つまずいて たちつくして
足りなかった思いやりに悔やむ
でもそこから
本当の厳しさと優しさが見えてくるはずだよ"


と言う歌詞があるけど
これは20代に心理学を専攻した頃からの僕のテーマだった。

そしていつも、もっと平たく歌詞で表現できないものかと思っていた。
唄じゃなくても、それに近い表現だと
良い意味で表現すると"割り切ること"と"包みこむこと"
悪い意味で表現すると"たたき落とすこと"と"飲み込むこと"
になるのかな。

いずれにせよ
学術用語だと"父性"と"母性"といった単語でけりがつく。
しかし歌詞にはならない言葉だけど。
個々人にとってその単語が意味する象徴は長い年月と代償を払わなければ理解できるものではないし、
それは、個人の経験と言うか主観によってしか"腑に落ちない"ものだから。

最近のメールで僕がコタンでのライブについて「"卒業"と言う言葉を"休止"に置き換えてはどうか。」というメールが複数届いた。
しかし、これは僕なりに考え抜いて選んだ言葉だった。
"休止"なら若い頃、コタンで既にやっている。
復帰したいと思った時、木村さんは快く「またやりな」って言ってくれた。

確かにこのままコタンでずるずるライブを続けていたとしたら、なんのこだわりもなく楽に時間が過ぎていくと思う。
でも、いろんな交錯した思いから決めた言葉であって「このままの僕ではいけない」と毎夜、夢に現れてきていたのが、ここ1ヶ月ほどの内なる僕の心の叫びだった。

話は戻るけど
幸せな事に大学時代に至るまでじゃなく
今の職種を選んでからも僕は多くの女友達に恵まれてきた。
僕は今でも電話魔だけど、学生時代は受話器を放す瞬間にも気づかず眠りこけるような事が日課だった。
勿論相手は男ではない。
だから"女友達"を唄うときは、毎回違う人物をイメージして変化をつけて唄ってきた。

この唄が出来たのは30代半ばで
ライブのMCでは
離婚ホヤホヤの女友達からインスピレーションをもらって作った唄です。」
と言ってから唄っていた。
でないと出だしの歌詞である

"憂いを纏った瞳から指輪の跡に気がついてた"

なんて、「なんじゃこれ?」となるから。
でも12年近く唄ってきたから最後くらいは、こんなまくら(MC)なしでやってみます。
勿論ピアノじゃなくギターのアルペジオで。

今回の写真は4半世紀前、一番大切だった女友達と一番大切だった日
京都でのフラッシュにコラージュを施したものです。
by jun_hara | 2010-06-17 22:22 | 独り言

ささやかなこの人生

花びらが散ったあとの
桜がとても冷たくされるように
誰にも心の片隅に
見せたくはないものがあるよね

だけど人を愛したら
誰でも心の扉を閉め忘れては
傷つきそして傷つけて
ひき返す事のできない人生に気がつく

やさしかった恋人達よ
振り返るのはやめよう
時の流れを背中で感じて夕焼けに涙すればいい


誰かを愛したその日には
例えばちっぽけな絵はがきにも心が動き
愛を無くしたその日には
街角の歌にもふと足を止めたりする

風よ
季節の訪れを告げたら寂しい人の心に吹け
そして巡る季節よ
その愛を拾って終りの無い物語を作れ


やさしかった恋人達よ
ささやかなこの人生を
喜びとか悲しみとかの言葉で決めてほしくはない

by
by jun_hara | 2010-06-16 21:34 | music

4半世紀

e0027033_22561456.jpg日曜日に掃除をしていると、まるで昨日のことのような内容の手紙が箱から出てきた。

出だしはこの言葉から始まっていた。
"かつて手紙などかいたことのない私が、今こうしてかいているのも他ではありません。..."

今読むと、このような手紙を書いたことはないにしても、僕らの世代がまだまだ手書きでやりとりしていたことを思い起こさせる凛とした達筆な字体だ。

そしてこの手紙は4枚...おそらく文字数にすれば、およそ2400に及ぶ文章で僕等の終わりを告げていた。
その文章には感情を論理的に解釈しようとすると矛盾があるものの、一貫して曲げることのない決断は はっきりしていた。

"私達のつき合いは、他の誰のつき合いとも比べることはできない内容だったと思います。
精神的に私はよりかかりすぎたのかもしれません。
何もかも話して自分を出そうとした方が恋愛をするのにはふさわしく楽な状態だとばかり今までは思ってきました。
しかし、所詮他人である二人が一緒にいる以上、何もかも寄りそって出してしまうなんて無理なのです。"


僕が1年後に会って唄に託した返歌Go on your natural ways.で
"「心なんて重ならない」と冷めてみても
こみ上げるものにとらわれて..."

この唄を書いた時、何時かふたりが誰かにそんな心を開ける時が来ればいいのにって思っていた。

あれからお互い再びそんな季節が訪れたことがあったのだろうかと今でも思う。

"ただ あなたと過ごしたこの歳月を後悔しているのではないことだけわかって下さい。
お互いが別々の道を歩んでいこうと思います。
私達は今後という未来が計り知れることのないくらいあります。
時にのっとられるか 時にのるか それぞれが考えて生きていきたいものです。
さようなら"


そうして僕はこれまで経験したことのない臆病なこころのままで社会へと突き出されツ・ブ・レ・テ・イ・ッ・タ。

今でも僕はあんなに誰かと時間を共有したいと思った人はいない。
もしかするとそれは、僕等が一番多感で一番自由な時代に巡り会ったからかも知れない。
お互いが気づくこともなく、
同じ街で暮らして
同じ季節を生きて
同じことを考えて
同じとに不安を感じて
同じ唄を聴いて...
そう言えば僕が君に初めて借りたレコードはOFF COURSEのSELECTIONⅠだった。
今You Tubeで秋の気配を聴きながら書いている。
東京は梅雨入りしたばかりだというのに。


時は流れて
1995.1.17以降消息がわからなくなってしまった。

今は自分の食い扶持を持続させる以上に誰かのために祈れるほどの余裕はない。
でも"元気でいて欲しいな。"とは思ってる。

そうそう、ちょっとは明るいネタも書かないと。
僕はミュージシャンにはならなかったけど、このことで書き綴った「乾いた九月」は何度かメジャーから声がかかったことがあって。
憶えていないかもしれないけど、二人が別れて1年後に出会った時、僕が唄った2曲のうちのひとつ。
それだけじゃない。SMAPのプロデュースや編曲を担当した一流の音楽家からも絶賛されたんだから。
でも、だからといってこんな曲は一生のうち何度でも書けるもんじゃないとわかっていた。
音楽は学生時代だけと割り切っていた。
いや、割り切っていたつもりだった。

あれからこんなに時間が経ってしまったというのに、こんなことで僕の頭の中はタイムスリップしてしまうなんて...きっと今が楽しくないからかな。
でもね。
今でもそうなんだけど
紛れもなく僕の人生にとって一番特別な人だった。
それはホントの気持ち。
だから2010.7.4以降暫くは休むけど、あの頃の二人のためにも何時かまた歌い始めることにするよ。

今回の写真は藤江海岸から観える落陽です。
by jun_hara | 2010-06-15 23:07 | 独り言

大漁

朝焼け小焼けだ
大漁だ

大羽鰮(いわし)の
大漁だ


浜は祭りのようだけど

海の底では何万の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう
by jun_hara | 2010-06-14 23:41 | 独り言