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愛着(アタッチメント)

e0027033_22543178.png辞書で「愛着」とは、長い間親しんだ物などに心が強くひかれて離れられない気持ちとある。
一方、心理学用語である「愛着(アタッチメント)」も二者間、とくに親子の間の「愛情の絆」を意味するものと考えられているが、もともとの意味は、文字どおり他の個体への近接(アタッチ)を通じて、安心感を回復・維持しようとする傾性のこととなる。

イギリスの児童精神科医であったボゥルビィは、個体が危機的状況に直面し、あるいは危機を予知して不安や怖れなどのネガティブな感情が強く喚起されたとき、特定の他個体にしっかりとくっつく、あるいはくっついてもらうことを通して、主観的な安全の感覚を回復・維持しようとする心理行動的な傾向を「愛着(アタッチメント)」と定義づけた。つまり、不安や怖れなどの感情の乱れを自己と愛着対象との間の関係性(二者関係:対幻想)によって調節する仕組みが愛着(アタッチメント)であり、愛着対象への接近可能性や愛着対象の情緒的応答性に関する表象モデルをボゥルビィは「内的作業モデル(internal working model)」と呼んだ。

たとえば、危機に際して逃げ込み保護を求める「安全な避難所」としての経験が子どもにとっての愛着対象は安心できる人として認識され、感情状態が落ち着きを取り戻した時にそこを拠点に外の世界に出ていくための安全基地として機能することになる。

こうした愛着経験(内的作業モデル)は内在化され、対人関係のテンプレート(雛形)となる。
養育者との愛着関係を離れて、対人情報を知覚、評価、予測し、行動プランニングを行うことを「愛着パターン」と呼ぶ。つまり対人関係のパターンの基盤となる対人世界に寄せる信頼や自尊感情が「愛着パターン」ということになる。
一方、愛着対象である養育者(主に母親)の愛着希求に対しての情緒反応性を「ボンディング(bonding=絆)」とか「母親からの愛着(Maternal attachment:マターナル・アタッチメント)」と呼ぶ。
愛着が成りたつためには、子ども側の愛着要求と愛着対象の情緒反応性が呼応することが必要であるが、ここにはさまざまな問題が関与してくる。

子どもへの情緒反応性の問題は「ボンディング(絆)の障害」子どもの愛着要求の問題を「愛着障害」そして通常の二者関係の問題としての「関係性の障害」という3つのパターンに分けられる。
愛着(アタッチメント)研究の流れも、愛着(アタッチメント)の質を個人の特性とみなす流れから、相対的に友人関係や恋愛・配偶者関係、およびそれらの中での孤独や葛藤、感情調節などなど、愛着(アタッチメント)を二者関係の特質や状態とみなす傾向が出て来ている。

対人関係の基盤となる「愛着パターン(あるいは愛着スタイル)」そしてその核心である「内的作業モデル」の成長に伴う変化や適応、「愛着障害」や「アタッチメント(愛着)関連トラウマ」「発達性トラウマ障害」など「対人トラウマがかかわる疾患(PTSDなど)」との関係、「慢性うつ病性障害(気分変調症など)」の自尊感情との関係、それから対人関係療法などの心理的援助において愛着をどう扱うのかなどの応用について、今後の実践的データの蓄積が期待されている。
by jun_hara | 2015-06-28 22:57 | 情報

心の理論


「心の理論」は、ヒトや類人猿などが、他者の心の状態、目的、意図、知識、信念、志向、疑念、推測などを推測する心の機能のことである。
もっとくだいて言えば「心の能力」の理論と言った方が解り易い。
十人十色と言われるように、人には人の考え方があって、他者にも自分と同じように心(主観)が存在するのだと言う事を認知できる能力を指す。
まるで当たり前のように思う方が自然かもしれないが、人の発達におけるこの能力の体得は、今の心理学の中心テーマになっている。

哲学者ダニエル・デネットは子供が「心の理論」を持つと言えるためには、他者がその知識に基づいて真であったり、偽であったりする志向や信念をもつことを理解する能力、すなわち誤信念を理解することが必要であると示唆した。これに基づきハインツ・ヴィマーとジョゼフ・パーナーは心の理論の有無を調べるための課題を提案した。これを誤信念課題(False-belief task)という。この課題を解くためには、前述したように他人が自分とは違う誤った信念(誤信念)を持つことを理解できなければならない。

最も有名な課題がサリーとアン課題(Baron-Cohen S, Leslie AM, Frith U (1985))である。
1.サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいる。
2.サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行く。
3.サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移す。
4.サリーが部屋に戻ってくる。
上記の場面を被験者に示し、「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すか?」と被験者に質問する。 正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。

この課題により、人が「心の理論」を体得するのは4歳だとされている。

しかし、この課題は言語の文脈が理解できる発達年齢であり、いわゆる言語能力を体得する前に、この能力は体得されているのではないかという反論があり、実証実験されたのが今回の動画である。
乳幼児は言葉を発することは出来ないので、一般的には乳幼児の事物に対する注視時間の長さを持って測定することになる。

この能力が注目されるのは昨今言われる自閉症スペクトラムと関連があるからである。
健常児が4歳ごろから解決可能になる誤信念課題を自閉症児がなかなか通過できないことで知られている。この結果に基づき、自閉症の中核的障害が「心の理論」の欠如にあるという考え方が提案されている。ただし、すべての自閉症児が誤信念課題に失敗するわけではなく,通過する自閉症児も一定の割合でいること、そしてこのような実験が言語による教示を解するいわゆる「高機能」の自閉症児に対して行われてきたことなど、「心の理論欠如仮説」に反する証拠も存在する。

いずれにせよこの概念の研究は認知神経科学や進化心理学で脳の活動と関係があることがわかりつつある。
また、これまで心理学的な概念としてあった高次の心的機能である「共感的理解」や「社会的規範」の認知などが、脳の活動とのつながりで実証される日も近いと期待されている。
by jun_hara | 2015-06-28 00:46 | 情報

歴史教育私論

 放送大学の日本の中世史(平安末期~江戸幕府成立)の説明で、やたら出てくるのが国家体制に関する学説として権門体制論(黒田俊雄,1963)だった。

 それまでの中世史観では、中世国家は旧体制である天皇を代表とする公家権力と宗教権力(寺家)、新興の武家権力が三つ巴の対立抗争を行っている社会であるとの見方が大勢を占めていた。

 それに対し黒田は、文献に現れる権門勢家という言葉を用語化して権門体制論という学説を提唱した。
 権門勢家とは簡単に言い表すと権威があり、勢威もある政治的、経済的に有力な勢力というところらしい。これら公家権門(執政)、宗教権門(護持)、武家権門(守護)はそれぞれ荘園を経済的基盤とし、対立点を抱えながらも相互補完的関係があり、一種の分業に近い形で権力を行使したのが中世国家であるというのが権門体制論である。国家の様々な機能は各権門の家産制的支配体系に委ねられ、これら三者を統合する形式として、官位など公的な地位を天皇が付与し、三者の調整役ともなる。この意味で天皇は権門の知行体系の頂点に位する封建国家の国王なのだとする。荘園制が事実上崩壊した応仁の乱を契機に権門体制は崩壊し、織豊政権による天下統一までいわゆる国家権力は消滅したというのが黒田の主張であるとのこと。

 このように、中世日本を天皇を筆頭とする単一の国家と見る権門体制論に対し、東国国家論(佐藤進一ら,1983)からの批判がある。

 この説は、鎌倉幕府を東国において朝廷から独立した独自の特質をもつ別個の中世国家と見なし、西日本を中心とする王朝国家と鎌倉幕府とは、相互規定的関係をもって、それぞれの道を切り開いたとする。両国家は、特に北条時頼が親王将軍を迎えてからは、西日本からの相互不干渉・自立を目指したというのである。だが二国間の相互不干渉が有り得るとは考えにくく、この点を考慮して提唱されたのが、五味文彦による「二つの王権論」であり、東国国家を東国の王権になぞらえ、朝廷を西国の王権に比定し、将軍を東の王、天皇を西の王と認識した上で二つの王権のありようを実証的に明らかしようと試みたとのこと。

 一方で権門体制論の内部においても、国王の地位にあったのは天皇でなく治天の君であるとする説、鎌倉時代前期までとする説などが出されている。中世を通じた国家モデルとしての権門体制論と二つの王権論が学界では有力視されており、優劣が決する気配は無く、権門体制論が必ずしも定説になっているとは言い難い現状にあるらしい。

 放送大学の講義は本郷和人先生の話術、個人的意見、冗談などを含んだもので、大変面白かったし、学説の説明も腑に落ちて理解しやすかった。もし古典を解読するのが嫌いじゃなかったら、今でも一番研究したいのは日本の中世史なのだと思った。ただあくまでもこれは個人的な話で、一般的な歴史教育に対しては別意見になる。
 今の高校では近現代史の教育がなされていない上、それ以前の歴史にしても学説が定まらないままの話を体系的に教えているのはいかがなものかという疑問が残った。しかも「こんな人名いっぱい憶えてどうするのよ」という詰め込みだし。
 どの学問でもその学問の歴史が大切なのはわかるけど、とかくこの国の教育は事実不確定な箇所まで歴史を要約して詰め込みすぎであると思う。本来は、今をより良く理解するための「経緯に対する理解」が本論で、まずは現在に繋がる分岐点から教えるのが筋だと思う。

 僕が25年属していた情報処理業界で言えば、情報処理試験がその最たる例だけど、なんでIBM System/360から憶えなければならなかったのか甚だ疑問だった。今や現場ではそんな古代史みたいなものより、現在のICTに繋がる基となった1995年からで充分だろう。この年にはWindows95の発売とJavaの登場という避けて通れないOSと言語が生まれた年なのだから。
 まーそんなことだから情報処理試験は存在理由がどんどんなくなって、MCPなどMicrosoftなどが行う実践的な認定資格の方が現場では評価されるようになったのだけど。

 話しを日本史に戻せば、学校教育での日本史は1853年の黒船来航から現在までを優先的に教えるべきだと思う。そうでないと「自分たちがどんな歴史を経て、今どんな課題に関わっているか」という歴史を学ぶ上で一番大切な事なんてわかるはずもない。
 選挙年齢が18歳であろうが20歳であろうが、ここを改善もせずにどっちがいいかなんて議論自体が本末転倒だったのだ。裏を返せば街頭インタビューで、まともな歴史観や政治も洞察できていないのに物理的年齢だけで選挙年齢を論じている「物理的年齢だけの大人」の意見はチャンチャラ可笑しかった。
こんな歴史認識だから、ネトウヨが横行し、馬鹿げた法案にも気づかない有権者が恥ずかしげもなく大人ぶっているのがこの国の現状だと思うのだ。
by jun_hara | 2015-06-23 02:19 | 独り言