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あれから21年


1995年1月17日の阪神淡路大震災から21年が経つ。
僕は当時、東京の文京区に住んでいて、テレビからの情報しか知ることが出来ず、生の被災地を視たのはそれから3か月後だった。
テレビでは相変わらず、阪神高速が倒壊した映像ばかりが流れて、その後の阪神地区の復興ぶりばかり取り上げられ、東日本大震災と比べても、その後の対応の良さばかりが語られているような気がする。
確かに被害が酷かった中央区、灘区、東灘区、芦屋市、西宮市などの復興においては、高層マンションが林立し、まるで被害がなかったかのようである。
しかし、これが一番被害の酷かった長田区においては話が違う。
箱物の対応はしたものの、人口流出が止まらず、追い打ちをかけるかのように、中心産業であった靴製造が海外流出し、それと連動して、伝統のある商店街もシャッター通りに瀕している。
兵庫県や神戸市は対策として、中央区に集中している行政機関を長田区へ移転する計画をしているらしいが、中心産業と商業施設の連動までは具体的な政策を詰められていないようだ。
学生時代、賑わっていた靴工場や商店街でアルバイトをやった記憶は鮮明に残っているが、それを思い出させてくれる懐かしい風景はもうない。

阪神大震災を語る時、神戸と淡路ばかりが話に挙げられるが、実は明石市の東部でもかなりの被害が出た。
僕が小学3年まで住んでいた大蔵本町は東経135度にある天文科学館から海を臨んだ東に位置する。
勿論、被災地の真っただ中だったので、住んでいる頃に地震が発生していたなら、確実に死んでいたことは確かだった。
今では、明石海峡大橋を一望できる海岸沿いが大蔵海岸公園として生まれかわり、ショッピングモールなどもできて人口もV字回復を遂げているらしい。
ところが先日1月12日に大蔵本町を訪れたら、復興計画から取り残された路地裏の風景がまるで子供の頃の建物をそのままにゴーストタウン化している。
また、ショッピングモールができたこともあって、子供の頃、一番賑わっていた大蔵市場はまるで遺跡状態になっているし、その周辺では買い手のつかないさら地も点在する。
あの懐かしい人達はどこへ行ってしまったのだろう。
せめて大切な思い出として、自分の記憶の中からだけはこぼれないようにしたい一日だ。
by jun_hara | 2016-01-17 00:13