女友達

女友達_e0027033_2222656.jpg今回ブログのタイトルにした僕の唄の歌詞に

"つまずいて たちつくして
足りなかった思いやりに悔やむ
でもそこから
本当の厳しさと優しさが見えてくるはずだよ"


と言う歌詞があるけど
これは20代に心理学を専攻した頃からの僕のテーマだった。

そしていつも、もっと平たく歌詞で表現できないものかと思っていた。
唄じゃなくても、それに近い表現だと
良い意味で表現すると"割り切ること"と"包みこむこと"
悪い意味で表現すると"たたき落とすこと"と"飲み込むこと"
になるのかな。

いずれにせよ
学術用語だと"父性"と"母性"といった単語でけりがつく。
しかし歌詞にはならない言葉だけど。
個々人にとってその単語が意味する象徴は長い年月と代償を払わなければ理解できるものではないし、
それは、個人の経験と言うか主観によってしか"腑に落ちない"ものだから。

最近のメールで僕がコタンでのライブについて「"卒業"と言う言葉を"休止"に置き換えてはどうか。」というメールが複数届いた。
しかし、これは僕なりに考え抜いて選んだ言葉だった。
"休止"なら若い頃、コタンで既にやっている。
復帰したいと思った時、木村さんは快く「またやりな」って言ってくれた。

確かにこのままコタンでずるずるライブを続けていたとしたら、なんのこだわりもなく楽に時間が過ぎていくと思う。
でも、いろんな交錯した思いから決めた言葉であって「このままの僕ではいけない」と毎夜、夢に現れてきていたのが、ここ1ヶ月ほどの内なる僕の心の叫びだった。

話は戻るけど
幸せな事に大学時代に至るまでじゃなく
今の職種を選んでからも僕は多くの女友達に恵まれてきた。
僕は今でも電話魔だけど、学生時代は受話器を放す瞬間にも気づかず眠りこけるような事が日課だった。
勿論相手は男ではない。
だから"女友達"を唄うときは、毎回違う人物をイメージして変化をつけて唄ってきた。

この唄が出来たのは30代半ばで
ライブのMCでは
離婚ホヤホヤの女友達からインスピレーションをもらって作った唄です。」
と言ってから唄っていた。
でないと出だしの歌詞である

"憂いを纏った瞳から指輪の跡に気がついてた"

なんて、「なんじゃこれ?」となるから。
でも12年近く唄ってきたから最後くらいは、こんなまくら(MC)なしでやってみます。
勿論ピアノじゃなくギターのアルペジオで。

今回の写真は4半世紀前、一番大切だった女友達と一番大切だった日
京都でのフラッシュにコラージュを施したものです。
by jun_hara | 2010-06-17 22:22 | 独り言


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