美術

美術_e0027033_2152173.jpg残念ながら僕に絵を描く才能があることは今や誰も知らない。
具体的には、中学1年生の夏休み後、東播美術展(美術の県大会みたいなもの)で夏休みに描いた自画像が文化委員会賞(玄人が評価する一等賞)になった。
また、当時の美術の先生はそれ以前から僕の絵の才能を知っていたのか棟方志功の再来のごとく3学期間、最高点をつけた。
それどころかデッサンも彫刻も、何を題材にしても、僕の創作を観るように授業が進められた。

しかし2年生で別の担任が美術の教師だったこともあり、僕の普段の生活態度の悪さから、美術の模範にされることはなかった。
この頃から僕は誰の評価も信用しなくなった。

また自分の美意識にも自信めいたものが芽生え、付き合う女性には「性格の評判が悪くても美人である子」が必要条件になった。
でなければ付き合うこと自体に意味がなかった。

僕の美術的才能が開花したのは大学生になってからだった。
僕が学生だった頃の関西学院では、その名声を生かして、神戸の各地でダンパ(ダンスパ-ティー)やイベントが行われた。
しかし街で配るフライヤーに対してデザインが大切なことは分かっていても、それを具現化する者は少なかったことが原因で
いくら関学の学生主催と言えども集客を左右したのだ。

偶然、僕の絵画力を知ったイベンター達は、素人かつ無料でポスターやイラストを描く存在を知って頼みにきた。
勿論、僕は好きな絵が役に立つのならと言うことで、時間に余裕のある1回生だったこともあり気安く受け入れていた。

このデザイン力は2回生で既存のサークルになじめなかった者が集まって作った「ペンギンハウス」と言うテニスサークルを立ち上げるのに役立った。
当時、松田聖子のB.G.M.で話題となったビールのCMで使われていた画像(今回の絵みたいな)をモチーフにしたものだった。
結果は大成功。
女子大の正門前で配ったフライヤーは定員の3倍以上の申し込みがあった。
しかしその運営は1年も立たず破綻する。
要するにサークルを運営するには何のノウハウもなかったのだ。
それ以降僕は団体を作るということについて集団力学や社会心理学を学ぶけれど
それを具現化するゼミに参加したこともあって
ますます集団や組織というものが嫌いになり
それらへ参加することに抵抗感がつのっていった。

そんなこともあって今回KAKADOでやった原っぱのようなことには3年の歳月がかかった。
「原っぱ」のフライヤーに採用した絵は秋山羊子のデッサン。
ここ数年、羊子ちゃんがブログに描いてきた絵を僕が気に入ってのことだ。
勿論、僕は自分の審美眼を信じているし実績もあるので、気に入らなければ書き直すよう指示した。
これは羊子ちゃんも理解してくれていたと思う。

本当に大切な美しさの神髄は傍観者ではなく創作者じゃないと解らないのだ。
by jun_hara | 2010-06-26 21:57 | 週末


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