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官僚や学者達の常套手段

以前、FBで「文章は量ではなく質」と言うトンチンカンな論争を仕掛けてきた頭でっかちがいるのですが
この本内発的動機づけを読むことをお勧めします。

1980年が初版なので、古い内容ですが、
官僚や学者達はこれを逆手にとって、無学な政治屋を手玉に取っているカラクリが理解できると思います。

結論から言うと旧・国立一期(東大、京大、阪大、神大など)でお勉強した人には
体験し難いかもしれませんが、人間には食欲求、睡眠欲求と同じく情報欲求と言うものがあるのです。
要するにその欲求には下限があれば上限もある。
人それぞれ、一定の許容量を超えたら、流し読みするのも難しいのです。
つまりは萎縮してしまう。
情報リテラシーの難しさは刻々と増しています。

学歴偏重社会では、医者などお偉いさんに対して、反論する力はない。
その場では「先生わかりました」と呼びながら去るしかない。

僕も含め、書いている当事者には忘れがちですが
学会ならともかく、FBに投稿するなら、最低限文章量に気を配るのが当たり前でしょうが。
勿論、論文なら正確かつ具体的に文章は書くべきでしょうが、それならブログやhtmlのリンクにしてしまえばいい。
例えば、詳しくはコチラ!と言うくらいの配慮があるべきなんですよ。
それなら「無視すればいい」と言う意見もごもっとも。
しかし、簡単にそれができるほど人は強くありません。
特に日本人は。

こう書いている内容についても、
「お前が先生になればいいじゃないか」と言う言葉には呆れました。
実社会を経験せずに学校の教師になるほど、当時の僕は愚かでもありませんでしたし
教職課程は放棄しました。

実際のアルバイトや奉仕活動で、高校生から社会人に至るまで、
子供たちへ教育することをやってみて
軽軽に教える側に立つべきではないと思ったからです。
特に歴史教育はその中軸ですから。
まして、今の教育現場に関わりたいと思う程、愚かでもありません。

これを変えるには在野でなければ難しいのです。
たとえ最後はホームレスになっても、
僕は「先生」と呼ばれる器ではないし、教養も時間もありません。

あえて今は「どうすれば情報を含み、格差を是正できるのか」思案している最中です。
自分にどこまでできるかの保障はないにしても、まず草の根から。
by jun_hara | 2014-05-17 23:06 | 情報 | Comments(0)


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