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少子高齢化と首都圏一極集中の矛盾

東京の出生率が都道府県最下位にも関わらず
昨年人口が増加した都道府県は東京都、埼玉県、神奈川県
要するに千葉県を除く首都圏だった。
これでは「消滅する市町村523〜壊死する地方都市〜」というのは当然の成り行きである。
内閣は改造後、地方創生を高らかに掲げているが
その大義として、ばらまきの禁止、省庁縦割りの排除としている。
しかしこんなこと霞ヶ関や永田町で論争しても無駄だろう。

ではなぜ、首都圏一極集中が止まらないのだろうか。

都市社会学ではその特徴として都市的社会関係の表面性、匿名性、一時性があげられる。
地方に住んだ人にはわかると思うが、その対極にある大都市を除く地方では、この真逆の関係が要求される。
要するに、地方コミュニティの崩壊を問題視しているのは高齢者だけで
(特に子供のいない)若者にすれば前述の『都会の特徴の逆』が窮屈であり、
地方における雇用の選択肢の少なさや転職の難しさがその根底にある。
僕も帰省するたびに思うが
「早く結婚して子供を産め」などど言われるのにはうんざりしてきた。
また、地方でしか暮らしたことのない管理職の人には、
未だ転職という言葉はマイナスのイメージしかない場合が多い。

これでは首都圏の大学に入学し転職を経験した者が、よほどのことがない限り
実家のある地方へとUターンするわけがない。

最近の統計で田舎に住みたがる若者が増えていると報道されたが
そう思っている大半は、都市育ちの者であり
村社会とのギャップで永住できるかは疑わしい。
僕も一度Uターンをしたが、この文化差になじめず東京に逆Uターンした者である。

昨年、日本中の地方都市を見て回ったが
その中でも一番印象的だったのは香川県だった。
県庁所在地である高松市は地方都市では珍しく深夜でも人通りがあり栄えているように見えた。
しかし県内第2の都市である丸亀市は日曜日の正午でもアーケード街は全くの無人のシャッター通りだった。
急速な過疎も地方では段階的に始まっている。

人口比率だけではなく地方の過疎の現状は、首都圏に住んでいるとわからない。

東京においても、高度な技術職や既得権益を持っていないと年々老後の不安も増大するし
60歳までのカウントダウンが始まると、このまま生活が維持できるか保証がない。

兎に角、僕は最低限のコミュニティである家族のことを考えても
待ったなしで今後の人生の選択を決めた。
それが再度受験勉強をして、本当に学びたい専門知識と経験を得て
地方でも成り立つ生活の実現を試みることである。
このきっかけになったのも、前回のプロジェクトで同世代の自殺者が出たことが大きい。
また4月に慢性的白血病の可能性があったことを告げられてから
いつ死んでもおかしくないと言う人生観がリアルになったからだ。

既に初老の域に達して、二十歳の頃のような記憶力はないが
本当に好意的なことについてはこれに打ち勝つことが出来ると信じている。

若いうちにできる事は音楽をはじめ、東京生活で充分体験させてもらった。
これからは「どうすれば社会的貢献という自己実現ができるか」に挑戦をする。

僕ら世代の受験戦争で英語の必須本「試験に出る英単語」の一つ目(動詞)が
contributeだった。
和訳では「貢献する」である。

何よりも今後の人生がcontributionの具体的事例になれば、これ程嬉しい事はない。
by jun_hara | 2014-09-14 08:13 | 独り言 | Comments(0)


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