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最後の企画ライブをするにあたり

まー長い文章になってしまうけど、
これまでの音楽活動をちょこっと総括してみます。

【ライブハウスとの出会い】

僕がライブハウスに出だしたのは1998年だった。
別に積極的にオーディションを受けたわけではなく、
当時、YAMAHAのシンガーソングライターコースの先生から勧められたからで、
とりわけ出演意欲があったわけではない。
今でもそうだが、僕は裏方やサポートの方が性に合っているのだ。

【プロデュースの実験】

その後2003年に四谷天窓がオープンして、山崎まさよしがシークレットライブをやった頃から、
ライブハウスの出店ラッシュが始まった。
時を同じくして、スタバなど喫茶店の大型店舗が個人経営の喫茶店などに驚異を及ぼし、
それらの個人店は出演者からノルマ料を取ることで経営が成り立つうまみを知り、
次々にライブハウスへ切り替えていった。
この頃から出演者の敷居が低くなり、明らかにブッキングされる対バンのレベルが下がっていった。
奇しくも当時、僕は軽井沢フォークライブのプロデュースを担当していて、
出演者の数を確保する必要があったこともあり、自らも出演やサポートを頻繁に行い、
あらゆるハコで出演者と交流をしていった。
しかし、とてもその後の企画に至るレベルの出演者を見つけるのは難しく、
結果としてこのイベントの発起人が集う四谷コタンからの出演者でまかなうこととなった。
そして5カ年計画の最後の年には
メインゲストに元オフコースの鈴木康博さんと元ふきのとう細坪基佳さんに
出演していただくほどのレベルになった。

【企画ライブの実現】

5年に及ぶ地方イベント復興を終えた後、この成功モデルを東京で出来ないかと模索し続けた。
普通、トリやワンマンのレベルにあるミュージシャンは対バンになることがない。
ここに着眼して、決して出会うことのないミュージシャン同士の橋渡しをすることで、
お互いが刺激し合い、連携を持った企画ライブができないか試みたのだ。
この企画は年1回を想定して2008年5月から始めて2011年5月に希望通りの形で結実することになった。

その後、一番試してみたかった自身のCD「子午線」製作と全国販売を行う機会に恵まれ、
ミックスダウンをして頂いたスタジオ・レダの水谷さんからの推薦があり
スター・パインズ・カフェでレコ発ワンマンをさせて頂いた。
この時は今回のトリをやってくれる秋山羊子のマネージャーであるワン吉こと鈴木君に沢山世話になった。
※余談だけどCDのジャケットに水谷さんの写真を掲載しているのに、
謝辞は鈴木君になっているので、水谷さんから「鈴木君の写真を載せる内容じゃないの」って
言われました。(^^;)

しかし、それが実現した時点で、音楽による積極的に試してみたい事がなくなってしまった。
兎に角、僕は
やってみて、わかってしまい、出来てしまうと興味がなくなる筋金入りの「飽き性」なのだ。

【今回最後の企画ライブをする理由】

僕は年内で地元である関西に戻ることにしたのであるが、
最後にお世話になったハコであるNext Sundayへのお礼もかねて企画を考えた。
今回の出演者はトリやワンマンを行っている連中でもあるのだから、
それぞれ1時間以上のステージを割り振っても大丈夫なメンバーである。
しかし聴き手の立場に立てば、それは非現実的だ。
クラシックやメジャーアーティストのコンサートを考えてみてもわかるが
2~3時間程度が聴き手の限界である。
そういった観点から考えても、今回5組のブッキングをしたわけで
一人ずつの持ち時間は決して長くない。
僕が望むことは、
一人の出演者を目当てに来たついでに、
普段観ることもない世代の違う出演者を観てもらい、
聴き手の幅が広がることである。
つまり僕にとっては最後の企画であるが、
聴き手にとっては、これがきっかけと言うか、
始まりになってもらえたら嬉しい訳なのだ。

企画ライブは仕込み次第でまったく空気が変わってくる。
とりわけ出演者同志は前もって出会ってなくては連携が難しい。
まーこのあたりは仕込みの話なので長々と書くこともない。

兎に角、2時間があっという間に過ぎたと感じてくれれば大成功かと思っている。
by jun_hara | 2014-12-06 19:47 | music | Comments(0)


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