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私が実践すべき心理学とは

以下、硬い文章になるけど、今、論文の訓練中なので、仕方ないかなあ。
でも後半は息切れして、口語体になってしまうんやろうなあ。

【要旨】
今、私が直面している最重要課題は「臨床心理士指定大学院入試において英語は必須か?」と、「文部科学省認定資格の域を超えない臨床心理士と今後の心理職の国家資格化法案の行方はどうなるのか?」である。そして、私は「今後、どういったかたちで心理学を活かした職業を模索すべきであるか?」になる。
現時点で第1目標は「臨床心理士指定大学院合格」に変わりないが、この2ヶ月において考え続けた思いは「音楽を技法に持ち込んだ心理療法はできないものか。」であった。それは、いわゆる従来の音楽療法とは異なり、受動的な音楽の使用方法に止まらず、また、これまでの臨床心理におけるカウンセリングの「場」と「枠」にも止まらないやり方で、である。
これはミクロ的アプローチだと「クライアントの金言をセラピストが作編曲に応用し、コミュニケーションの道具として用いる。」であり、マクロ的アプローチだと「レコーディング、コンサートやライブを臨床に導入する。」となる。
いずれにせよ、目標を立てる場合、過去を深く考えなければならない。
これを前提に今後の進路について考察するため、備忘録として記しておく。

【問題】
まず、直近の最重要課題のこととして、この文のテーマが浮かんできたのであるが、これを整理するには、私がこれまで学んできた言葉を想記することが妥当と思われる。
とりわけ、今のところ受験生と言う身の上を考えた場合、20代の時の大学生活での学びから振り返ることが肝要かと思われる。

【関西学院の精神】
奇しくも高校時代、音楽ばかりやっていて、「大学」というものに対して、高校3年次の担任教師から「箸にも棒にも掛からぬ。」と言われた私が、1年間の浪人生活のゴールになったのが関西学院大学社会学部だったことは皮肉である。これはまったく意外で、志望校群の受験日程により、たまたま空いたので、ダメもとで受けてみたのだ。可笑しいことに学部は違うものの、前述の担任教師の後輩になってしまったのである。
本題に入ると、関西学院(以降、「関学」と記す)の精神は明確で「Mastery for Service」と「Noble Stubbornness」である。前者は「奉仕の精神」であり、後者は「品位ある不屈の精神」である。
関学はプロテスタント系のミッションスクールであるし、創始者がアメリカ人のランバスであったため、学院内のあちこちにこれらの英語が書かれている。
当時の関学・社会学部では1回生では1年間の基礎ゼミというものがあって、入学時にパンフレットと共に志望基礎ゼミを提出する用紙が配られた。私の志望基礎ゼミは社会心理学の「田中國夫ゼミ」にしたのだが、もののみごとに入ることはできず、学校側は何を間違えたのか「宗教改革と二重予定説」のゼミにまわされた。キリスト教にはまったく疎い私が、カルヴァン派の神父でもある春名教授に教えを請うことになったのである。授業では「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ヴェーバー著)が最重要書籍になり、正直、「何が何やらわかりませんわ。」状態の日々が続いた。
ただ一つハッキリ憶えているのは「1日に働ける時間を怠ったら、2日分の時間とお金を失うことになる」といった内容で、今でも私の戒めになっている。
基礎ゼミで苦汁をなめるような思いをしたこともあって、3回生からのゼミは「絶対、第1志望のゼミに入ってみせる。」と思い、2回生の頭から聴講生として「田中國夫ゼミ」の3回生の発表時間に全て出席した。ここでは発表後に感想を書かされる。私以外の聴講生は恐らく「賞賛」しか書かなかっただろうと思われる。しかし、ここがひねくれ者の発想で、「思った事を正直に書けば、ええやん。」という態度で、解りにくい説明は「解りにくい」、みごとな連携の説明には、そのままの感想を書いた。
3回生からは、晴れて第1志望のゼミに入れることになったのだが、ここでのゼミ生活を全て書いていたら1冊の本になるようなボリュームなので、本論にもどり、今、思いつく田中先生の言葉だけ記しておく。
「男ならやってみろ」
「人生は演技である」
「大胆かつ繊細に行動しなさい」
「ここは魂と魂のぶつかり合いの場や」

2回生3月に振り分けられる班(私の場合は男子3名、女子2名)による研究書籍「コンプレックス」(河合隼雄・著)は今でも私の心理学に対する中心概念になっているが、この書籍もここで書くには難しすぎるので、河合先生の別の書籍「心の処方箋」から一つだけ呪文にしている言葉を記しておく。
「ふたつええこと、さてないもんよ。」

それと、このゼミにおいての最大の出会いは「こまやん」である。「こまやん」の言葉からも3つだけ記しておく。
「先のことはわかりません。そやから面白いんですわ。」
「原さん。最悪の事態を想定して動かなあきませんよ。」
「今の私は周りの人があってのことです。それだけは言えます。」

【母からの教え】
私の最大の教育者は、おおよその人がそうであるように、紛れもなく母である。
幸か不幸か、私の母の職業自体が教育者であったし、対人援助職も経験しており、今のところ、図らずも同じ対人援助職を目指すことになっていることも、この人の元で育てられたことが私の人生の進路に対して大きな要因になっているからである。また母を仲介に出会った人達の言葉も混じっているが、私にとって心に残る言葉は「誰が言ったか?」が重要ではないので、想記するままに羅列する。
また、以下の言葉は、決して命令として言われたものではなく、主体的に教訓としていることとして、私自身が腑に落ちていなければ書けないもののみ記している。

「感謝しいや。」
「なるようになる。」
「過去を深く考え、現在をよく行い、将来によりよく生きなあかんで。」
「人格の完成につとめ、模範的進取的でありよ。」
「独断専行を慎み、衆議を重んじ共に努力しなあかん。」
「人間性を重視し、人種男女の差別を廃し、礼節を尊び、「一視同仁」と言う言葉を忘れたらあかんで。」
「いつも本元を考え、目的を立て、道をあやまららへんように。」
「心と身をもって社会貢献をめざしや。」
「社会の教化福祉こそが同行であって奉仕なんやで。」
「努々、自己の生命(いのち)を軽んじたらあかんで。親より先に死ぬほど親不孝はないで。」
「ひたすら身命の力を尽くして、諸悪を避けて善を択び、独(ひとり)を、慎み身を修め、誠の道に精進して、個性を活かし、これを伸ばし、行じに行じて世に合わせながら、自他共々に生き行く道と心得えや。」
「人生は、文化の創造、人格完成、社会教化の道程(みちのり)や。それが万人普益、世界平和の大きな和に繋がるんやで。これこそ、社会に順応するものと心得や。」

以上を持って来週から、心理英語の勉学に入ることを覚悟するものとする。

平成27年3月4日 水曜日
by jun_hara | 2015-03-04 18:21 | 独り言 | Comments(0)


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