二つの記事から

ここのところ気になっている記事は下記のふたつである。
一つ目は豊かな「個性」としての発達障害〜多かれ少なかれ誰もがもっているであり、
二つ目はオックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかったであるが、
これらに何の関係があるか、直感的に気づく人はどれくらいいるだろうか。
結論から書けば「今後の教育システムをどう変革すればよいのか」になる。

以前、個性化と社会化について書いたが、現在の日本の学校教育は社会化に重点が置かれている。
また、「出来る子=知能の高い子」の図式でとらえられることが多いが、知能とは、ことほど左様に単純なものではない。
近代心理学の最大の発明として知能検査があげあられるが、逆説的に「知能」という構成概念ほど一律に定義されていないものもないのだ。

また、近代学校教育においては大学受験というものが最後の関門となるが、ここで問われるものは圧倒的に詰め込み教育の残骸が多いのも事実である。
これは、論理的思考を行う場合、多くの概念を有機的に結び付けるという観点からすれば、一概に批判されるべきことではない。
しかし、この数年間におけるInformation and communications technology (以下、ICT)の発展と普及からすれば、従来の記憶力に頼った知能の評価は難しくなっているのではないだろうか。
その代表的なものがマネー資本主義の限界とも言える投機筋による株価の乱高下であろう。
今や、株の売り買いは人の即時の意思決定ではなく、ICTを通じてプログラムが行っているのである。

基礎心理学では記憶の仕組みを2種類の3過程で説明する。
一つは、記名→保持→想起であり、もう一つは、符号化→貯蔵→検索である。
この表現の最大の違いは前者がヒトとしての記憶を前提としており、後者が認知機能を持つ個体であることを前提にしている。
要するに後者は人間と情報処理機器を同じ概念でとらえる認知科学の見方と言う事も出来る。
一見、ヒューマニティに欠ける解釈ではあるが、ICTの現状を考え、今後、人間の記憶に関する能力を評価する場合、後者の方が妥当である場面が否応なしに出てくる。
例えば、人間が意思決定をする場合、デバイスを使わずに行う事は殆どなく、我々がGoogleなどを使いこなすように、その過程にはどうしても「デバイスによる検索」といったものが介在する。
つまり検索キーワードの記憶は必須であるが、従来の、記名(符号化)→保持(貯蔵)といった過程は、絶対ではなくなってくる。
また人工知能における深層学習技術の発展により、機械自体がビッグデータを利用して試行錯誤し、人間の精度を越える意思決定を行う場面が急速に登場しようとしており、そのインパクトの一番大きいものとして、無人カーがあげられるだろう。

先の記事で興味深いもう1点として、生き残る職業の中に「小学校の教諭」はあるが、「高等教育の教諭」が含まれていないことだ。
要するに、ピアジェの言う形式的操作期の段階から始まる教養としての教育ならば、十パひとからげに教室に詰め込んで教える必要はないのであろう。
実際にeラーニングは普及しだしているし、ICT遠隔教育も本格的な実験段階に入っている。無理に教室に押し込めて、いじめや不登校を問題にするくらいなら、学校を含むコミュニティの方が個人に対して柔軟に対応していかなければ難しい時代がきているとも思われる。

こんな話を書けば、必ず「社会性が育たなくなる」といった意見が出てきそうだが、それなら今後生き残っていく上で必要な社会性とは何かを明確に示せる人はどれくらいいるだろうか。
極端な話、情報の加速化が止まらないとしても、子どもの発達に準じたモチベーションの維持において、「どうしてそんなことをしなくちゃならないの?」に大人が答えて、子どもが腑に落ちれば、内発的動機づけは高まり、他者との関わりの重要性に気づくものである。
むしろ、このような子どもの疑問に答えられないようでは社会性の重要性を教授できないだろう。
ここにおいても、今後必要となってくる、従来の社会性との違いは何かを考える必要がある。
要するに組織や地理的条件に縛られない今後のコミュニティのあり方を問い直すべきなのである。

基本的に人間は「ところ変われば品変わる」もので、西欧においては言語的コミュニケーションによって、その違いを確認する文化が成り立っている。
一方、日本においては以心伝心とか、腹芸とか、暗黙の了解があちらこちらに張り巡らされている土壌をもった民族であるため、とりわけ個性よりも社会性に偏重しやすいと思われる。
しかし、グローバル化を持ち出さなくとも、例えば、若者のLINEによる文字コミュニケーションをとらえても、言語化というものが不可欠になってくるに違いない。
ただ、ここで重要な「暗黙の了解」といった問題が残されている。
以下はその研究の土台にしようとしている自らの覚書である。

■ 非正規雇用者のモチベーションに影響する要因について
システムが整っていて役割が明文化されている職場だと非正規雇用者は比較的居心地がよい。
ところが、あちこちに暗黙のルールが仕込まれている職場は途端に居心地が悪くなる。
これは終身雇用の弊害が残っている会社であれば全ての非正規雇用者に当てはまる。
情報処理業界であれば、
・開発の標準化ができていない。
・体系だったシステムアーキテクチャーの知識共有の教育をしていない。
・質的技能を無視した量的経験だけで「うちのやり方」が通用し、
 全体のモチベーション低下より一部の個人の保身の重要度が強くなる。
こういった職場の場合、業務設計や交渉も杜撰で、そのしわ寄せが不効率な残業と言う形で現れる。また、社員の勤怠管理で「残業する社員=がんばる社員」と言う世界的な非常識が顔を出す。
これは、公的機関や大企業よりも中小企業が陥りやすい傾向にある。
もともと権威があったため統治不要だったが、雇用の流動化などで権威が急速に失墜したため、代わりに暗黙の了解による権力構造が台頭している訳である。
もしこの仮説が実証できた上で、社会政策のテーブルに乗せることができれば、恐らくこの国における高度専門職の移民受け入れは、欧米ほどに進み、後世に負の遺産を残すこともないと思うのだが、いかがだろうか。
by jun_hara | 2016-02-21 01:50 | 独り言


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