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So Long & Congratulation



久しぶりにレコーディングをやってみた。
この唄は1998年、職場を離れる恩人のために贈ったもので、当時の僕の部屋でギター1本だけで本人に唄ったことがある。

前にこのブログの生涯の友で、「親友は学生時代にしか作れない」と言うような内容を書いたが、それはあくまでも社会に出てからの平時を想定している。
社会人になったなら闘う時は必ずある。
その時は私利私欲でなく価値観を同じくする人と共に行動することはあるものだ。
こういった時はかけがえのない友人が現れる時もある。

こう書くと一見簡単なように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。
今、話題になっている待機児童の話をあげるまでもないが、仕事の大前提は家計を支えることである。
これなしに美意識だけで正論を共にする人があっても、それは子どもの戯言と言われても仕方がない。

人生の分岐点では「どこを妥協して、どこを譲れないか」を真正面から内省し、互いに話を詰めて、所属している集団の中で折り合いをつけていくわけで、
そこでは個人の価値観と社会的規範のすり合わせといった葛藤を抱えながら、もがき苦しみ、最後は自分で答えを出すしかないのである。
こんな状況の場合、大半が運命を共にする者同志は物理的な離別を覚悟の上、闘うわけで、決して誰かを陥れるために群れるのとはわけが違う。
それを乗り越えて初めて信頼感の共有を確信できるようになり、時空にとらわれない縁ができるのである。

ここまで書いたのはあくまでも僕の経験からくる人生哲学である。
よって誰にでも当てはまるなんて思っている訳ではない。
以前、大学生から「ストレートマスターで臨床心理士になるより、一度社会経験してからの方が説得力があるのではないか」というような質問をされたことがある。
その時の僕の答えの要約は「そう思う人はそうしたらいいし、そう思わない人はストレートマスターでいいんじゃない」だった。
ここで敢えて付け足せば、大学院生ともなれば社会人扱いとなるし、臨床心理士指定大学院ならばシラバスを見るまでもなく、実習は社会人としての訓練を含んでいるはずである。
また、民間であれ公務員であれ、社会人になっても「人としていかがなものかと思う人物」は何歳になってもいるし、それは教育界や医学界であっても同じだろう。

要するに、人格形成とは、どの道を行くにしても本人の心次第には違いない。
少なくとも僕が自分に問い続けている言葉を一つあげれば「救われたいのはどちらなのか」である。
これを見極めていない場合、長い目で見ると、押し付けの援助になってしまったり、仮説の立て方も間違ってしまうのではないかと思っている。

So Long & Congratulation

うまく言葉にできないけれど
ほんとによかったと思う
離れることは悔しいけれど
君らしい選択だから
一緒に戦いつづけたことは
今でも僕の誇りにしている
僕らはあの日々をわすれはできない
なれあう群れの中に埋もれずにいたこと
君の言葉が輝く場所へ
本当にSo Long & Congratulation
  
迎える朝は異なるけれど
同じ空の下で生きてる
傷つくことはあるとしても
なんとかなるさ僕らならば
本当はもう一度机を並べて
誰もが驚く仕事をしたいね
でもこんな時代に生まれたのだから
きっとそんな日が帰そうな気がするんだ
だから今は微笑みながら
本当にSo Long & Congratulation

一緒に戦いつづけたことは
今でも僕の誇りにしている
僕らはあの日々をわすれはできない
なれあう群れの中に埋もれずにいたこと
君の言葉が輝く場所へ
本当にSo Long & Congratulation
本当にSo Long & Congratulation

by jun_hara | 2016-03-28 02:00 | Comments(0)


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