2014年 06月 29日 ( 2 )

軍師の条件



大河ドラマ軍師官兵衛も、とうとう折り返し点になった。
おおよそこれまでの天下統一をなしてきた織豊政権までの話がメインテーマになっている時は
ここらあたりが一番力を入れた見どころになる。
要するに「本能寺の変~中国大返し~山崎の合戦」である。

僕の生まれ育った明石市は登場しないけど、
前半は、父の故郷である加古川市、そして姫路市を挟んで、母の故郷である宍粟市と言った
一地方だけの人しかわからない、昔の国名の播磨が舞台だった。

今回の時代考証が小和田哲男さんだからだろうけど、
明らかに前半の話は専門家や僕のように生まれ育った場所でもないかぎり
地政学的な面白さにまでイメージできないだろうと言った展開だった。

そもそも黒田官兵衛の出身については姫路説や黒田庄説など、いろんな説があり
国史学の表舞台に登場するのは、次回の備中高松城水攻めである。
この水攻めの最中に起こったのが前述の一番の見どころとなる。

秀吉の軍師として黒田官兵衛がやってきたことは「如何にして戦わずに勝つか。」
現代で言えば「戦争やテロではなく、調略や交渉にて決着どころをどうするか。」の一点にある。

これは黒田官兵衛(後の黒田如水)が父として嫡男の黒田長政に
どういった背中を見せてきたかが重要で
最後は大分県中津城の築城から始まり
「もう一つの関ヶ原」と呼ばれる島津家との合戦を経て
博多の都市計画実行を長政に託すまでの経緯が見どころになると思うが
多分、そこまでの話は長すぎるから、
天下統一の最後の戦である小田原城兵糧攻めまでしかできないだろう。

誤解されやすいけど、官兵衛が竹中半兵衛から引き継いだ軍師の条件とは
今で言う防衛省ではなく外務省の役割に近いのだ。
by jun_hara | 2014-06-29 23:12 | 独り言

パラダイムシフト



W杯の盛り上がりについて
良くも悪くも日本人が今でも継承している遺伝子を一言で書けば
「村社会」に尽きる。

これが国レベルになると「愛国心」になるのだろうけど
戦後、この言葉を嫌悪していたはずの人も
五輪やW杯が始まると、そんな心がむずむずと現れてくるのだろう。

この「村」と言う概念は形を変えて
学生なら「クラス」「ゼミ」「クラブ」「同好会などのサークル」とか。
社会人なら「会社」「宗教団体」「地域コミュニティ」とか。
勿論、「家族」という概念が一番の土台として。

ネットがなかった時代ではマスメディアの情報を共有することで
これらのコミュニティの会話が成り立っていた。
しかしマスメディアが凋落しネットが当たり前になった今
徐々にではあるがSNSなどがその代わりを担っている。

要するに日本人は自分に心地いい集団に安定して、かつ、出来るだけ長く紛れていないと極度の恐怖感を感じる。
そして、変化を望まない現状維持と社会的規範が幸福感の土台になっている。
いずれにしても形を変えて
集団に属していないと個人のアイデンティティが不確かになり
健常な生き方が出来ないのが、この民族の特徴である。

「村社会」文化の特徴について
良い意味では、集団の結束力であるが
悪い意味では、「村八分」と言う言葉が妥当なように
排除の力を含んでいる。

今、こういった日本の文化的傾向に伴い、
排除されている人達について「ひきこもり」と言う社会問題が加速度を上げている。
恐らく「育児放棄」もこの問題に属するだろう。

実はこの問題は日本特有で、個人主義が当たり前な欧米では理解し難いものなのだ。

戦後70年を経て、居住地の移動も難しくはなくなったけど
つい40年前までは「終身雇用」「年功序列」「タテ社会」「親方日の丸」が当たり前で
部落差別問題なども厳然として存在していた。
僕が大学で就活していた時代には、縁故が過半数に属し
先進的なはずの街であった神戸さえ、
老舗会社では女子大生は自宅通勤でなければ書類審査で排除されていたくらい保守的な土壌だった。

結論を書けば
この国では「他者との比較によって個人のアイデンティティを安定させ、幸福度の基準になっている」と言った時代は今も続いている。
そして地政学的な土壌の歴史的現実も含め
個々人が一番怖いのは「他者の眼」や「異論」であり、「個人的価値観」ではない。
こんな時代に試されているのが
「個人主義をどう受け入れていくべきか」と言うことだ。

かつて欧米が移民の受け入れにより国家を安定させたように
日本も移民受け入れなしでは、経済的安定を望めない。
今、個々人がこのパラダイムシフトを覚悟して生きねばならない時代に突入している。
それが理解できなければこの変化の激しい時代に生き残れないだろう。
by jun_hara | 2014-06-29 00:16 | 独り言